華岳山 恩林寺

飛騨三十三観音霊場 第18番札所TEL:0577-34-1245

『唯心の浄土 己身の弥陀』

禅宗の教え、即ち仏道の真理について端的に述べたのがこの言葉である。
この世で実在するのは心だけであり、総ての事物、現象は心の働きによって仮に現れたものであるとする「唯心」という考え方に基づけば、「浄土」(汚れや迷いのない土地、佛の世界)も心の中にある。即ち自分自身の身こそが阿弥陀仏なのである。
私たちの心の中には本来、阿弥陀様がおられる。自分の心の中に極楽浄土を見いだすこと、そして心の中にいる阿弥陀様に気付くこと、それが禅宗の教えなのである。

(「己身」の「弥陀」)
(黄檗宗青年僧の会発行「黄檗」より)

黄檗宗の歴史

■1654年、中国から招聘されたの隠元隆琦

隠元隆琦像
中国の明朝末(日本の江戸時代)、福建省福州の黄檗山萬福寺で住職として大いに禅の教えを広めていた隠元隆琦禅師が、日本からの度々の招きに応じ、承応3年(1654)に多くの弟子や職人を伴って長崎に渡来した。
そして寛文元年(1661)、徳川家綱公より寺領10万坪を与えられ、中国の黄檗山萬福寺を模した明朝様式の禅寺が創建された。
伽藍建築や仏像造りには、先述の職人達が力を奮ったという。隠元隆琦禅師が「黄檗山萬福寺」と名付け、その初代住職となった。これが日本の黄檗宗の歴史の始まりである。
日本の各地の修行僧が大勢、隠元禅師に帰依し弟子となり教えを受けた。
その中には後水尾法皇や徳川家の将軍もおり、天皇家や武家にも黄檗宗の教えが広まっていった。
そのご縁や恩恵もあり、黄檗宗は現在までの350年余りの歴史を数えられている。

鉄眼一切経について

■隠元の法孫に当たる鉄眼道光

黄檗山万福寺山内の宝蔵院
鉄眼禅師は大変苦労して隠元のもたらした大蔵経をもとに「鉄眼版(黄檗版)一切経」という大蔵経を開刻・刊行しました。
これにより出版技術も大きく進歩発展し、日本における仏教の研究は大幅に進みました。
了翁道覚は錦袋円という漢方薬販売にて、収益金で鉄眼の一切経の開刻事業を援助する一方、完成本を誰もが見られるようにする勧学院を各地に建て、それが日本の図書館の先駆けといわれています。
後に鉄眼一切経は重要文化財に指定され、黄檗山内の宝蔵院で現在も摺り続けられています。

黄檗宗の料理について

■普茶料理(ふちゃりょうり)とは

普茶弁当
普茶料理とは、江戸時代初期に黄檗宗の伝来とともに中国からもたらされた中国式の精進料理(素菜)です。
葛と植物油を多く使用し、一つの卓を四人で囲む形式が特徴です。
「普茶」とは「普(あまね)く衆人に茶を施す」という意味で、法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、茶を飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっています。
長方形の座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が、当時では非常に珍しがられました。
炒めや揚げといった中国風の調理技術には胡麻油が用いられ、日本では未発達であった油脂利用を広めることになりました。(掲載写真は普茶弁当です。)