願生寺
頭陀袋044 正しいことだけがよいわけではない
人は正しいことがよい。間違っていることは悪いと思いがちです。誠実なことやくそくをまもること、誰かのために尽くすこと、愚痴を言わないことが立派だと思いがちです。
しかし、その裏側にある自分のきもちに嘘をついたり苦痛だったり、無理をしている自分に正直になっているでしょうか?どこにでもある夫婦喧嘩の内側にはお互いの我慢とわがままが、いろいろな形で表れているのです。相手を思う自分の気持ち、自分を認めてくれない相手への不満が一番よく知っている相手を深く傷つけるものです。その時起こった出来事でいつまでも心が沈んでしまうのは大切なことを見落としてしまっているのです。今、起こっている真実を、もっと大きな宇宙レベル、仏様レベルの眼で見ると全く違う形だったりします。案外、誰かの優しい気持ちを見落としていたりするものです。辛いとき、苦しいときはご神仏の前で静かに座ります。大丈夫、必ず良くなるぞ。という声なき声が聞こえてきます。
節分の贈物
毎日、忙しさに追われているせいか、気が付いてみたらもう一月も終わり二月の節分が近づいております。私は昔ながらのたいせつな人たちに高山の銘菓(三島豆)を贈っております。年末のお歳暮の時期より、正月も済んで少し一段落、今年のこと、これから起きる事などについて冷静に考える時期だからです。 節分の豆を食べながら高山のことも思い出してほしいからです。こうした発想は、昔つかえた社長さんから教わったものです。
「贈り物をするのでも中元、歳暮の時期が来たからとか、そうした習慣だからというのでなく、芋が取れたら芋、ネギが取れたら葱、いい時期に自分の気持ちが伝わるようにしなければならない。」この言葉は大正生まれの大先輩の言葉として今もたいせつにしております。
鉄眼禅師の一切経
鉄眼禅師は三百五十年ほど前、黄檗宗の開祖隠元禅師について禅を修業されました。仏教を広めるために一切経の出版を思い立ち、自ら版木つくりの資金を求めて全国行脚をし、困っている人を助けながら三度資金集めをされ、十年の歳月をかけて、ついに一切経、六千九百五十六巻の版木を作り上げられました。
翌年、過度の疲労のため五十三歳でお亡くなりになりました。遺骸は黄檗山宝蔵院に葬られました。今でもこの手刷りの一切経は黄檗山萬福寺の宝蔵院 で印刷されております。版木の字は明朝体といい、今でも新聞などで使われる書体です。
飛騨ではこの黄檗版一切経を収蔵されているお寺は、下岡本・願生寺様。古川町・真宗寺様。宮川町・祐念坊様。であり、それぞれ経蔵に大切に納められております。
住職合掌
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頭陀袋070 一分は生まれつき、九分は親の教え
うちの子はハイハイをし出すのが遅いような気がする…?
隣の子はひらがなが読めるのに、うちの子はどうしてまだ読めないのだろう…?
なぜ、うちの子だけ逆上がりができないの…?
様々なことで親は、わが子とほかの子と比べたがる。
劣っていると不安になり、どうしてなのかと苛立つのもよくあることだ。
江戸時代の学者、林子平 (はやししへい) が書いた「父兄訓」では親のそういった態度を一刀両断にしている。
わが子が他人の子に劣っていることに腹が立って、ののしり叱る親がいる。これはあまりにも無理、無体な事である。子供が劣るのは生まれつきではなく、親の教育が悪いからなのだ。子供の出来は一分が生まれつき、残り九分は親の教えによる。子供をみれば親が賢いかどうかまでわかるものだ。子は親の鏡のようなもの。「勉強しろ。」と口うるさく言う前に自分もまず学び、成長することが大切でしょう。近年はマスコミが悪い、学校の先生が悪いと、責任転嫁している例が多いように思えます。
山号について
下岡本にある願生寺様は山号を【海塩山】 真光寺様は【萱垣山】と申します。ほぼどこのお寺にも山号というのがあって、もともと山の裾、山の上、などにお寺があったので○○山○○寺といったのでしょう。
願生寺様は金森様が高山を治める前は、旧荘川村海塩にあったことに由来しています。真光寺様の萱垣山の由来は、天文年間、萱垣市右衛門という方が出家し真光寺の基を築いたという歴史があります。
ちなみに恩林寺は現在の八日市羽田の華岳山麓にあり、高山に移転後も旧跡:華岳山を名乗っております。
昨年秋には黄檗宗管長猊下をお迎えして観音慶讃法要を務めましたが、その折猊下の御染筆「華岳」を記念として頂戴いたしました。
早速、表装ができあがりましたので、三月十八日春の彼岸法要の折、お披露目させていただきました。
お寺の近況
三月十八日(観音様のご縁日)恩林寺で は涅槃忌が勤まりました。 当日は、関市:正溪寺様、各務ヶ原:清見寺様、高山:宗猷寺様、恩林寺住職、 鳳雅禅士が奉仕くださいました。
お釈迦様が亡くなった時の涅槃図の解説、三月におこなわれました黄檗山禅堂の雲水さんたちによる遠鉢(えんぱつ)の様子について報告いたしました。また、鳳雅禅士の黄檗山学生寮にこの三月から入寮することなどを報告させていただきました。
住職合掌
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