阿弥陀佛
頭陀袋006 七光・十二光
阿弥陀佛の光明は尽きることなく私 たちを照らして居てくださることから、後光を無数の光の筋として表すことが多いですね。その光には十二種あるそうで、無量寿経には次のように述べられております。
①無窮の願力を現す無量光。
②光の届かないところがないという無辺光。
③何にもその光をさえぎることができない無礙光。
④比べる相手がない無対光。
⑤自在にてらす炎王光。
⑥貪欲を照らす清浄光。
⑦瞑り を照らす歓喜光。
⑧愚かさを照らし、因果の道理を知らせる智慧光。
⑨途切れることのない不断光。
⑩考えも及ばない難思光。
⑪とても言葉にできない無称光。
⑫太陽や月の光に勝る超日月光。
の十二光です。
阿弥陀佛は常にこのような光を発しておられ私たちはその恩恵を蒙って 「居りますがそのことを親鸞聖人は正信偈で(一切群生蒙光照) {生きとしい けるものはすべて阿弥陀仏の光に照 らされる} と詠んでおられるわけです。 親鸞聖人が救われたのはひとえにこの十二光のおかげであったそうですが私たちも同じでしょう。ところで仏は先祖に通じ親は一番身近な先祖ですから、親にも仏さまと同じ働きがあります。今、この世に生きている「親」はとても阿弥陀様の十二光にはかないませんがそのうち七個ぐらいの光りを発して子供を育てていると思います。親の七光りなんて、よく聴きますね。親の七光りとは仏の光りに他なりません。また七は七変化、七不思議などといいます。 親の七光りの七は多くのという意味だと捕らえてもいいのでないでしょうか?
私たちは父母の恩恵を受けて生きているのは確かです。その恩恵を光りにたとえて遍照の光明と摂取の光明の二つになるというような説明もあります。 私達の心の闇をも照らし、救いとってくださるありがたい仏心に感謝し、ご恩に感謝しながら生きて行きたいものです。
すでに親さまをなくされた方、ご先祖をお持ちの方、お仏壇を大切にお守りし ましょう。
親の健在な方は日ごろのお守りに感謝しましょう。
住職合掌
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頭陀袋009 本家・本郷・本国
何の前触れもなくSさんがお寺をたずねてきました。
「方丈さん、助けてください。私は自分の家に帰りたいのですが、誰も返してくれません。私の周りにはいつも四、五人の人が居て自由がありません。」というのでした。
Sさんは八十過ぎで、もちろん自分の家で暮らしています。以前聞いたご家族の話では少し認知症が進んで困っているとのことでしたが、ごく普通に話ができます。
彼が言うには「今住んでいるところは他人が建てた家で、こんなところより、本当の家に帰りたい。」とのことでした。今のSさんの家は彼の代で建て替えた家です。彼の頭の中では自分の生まれ育った家こそ本当の家で、この古い家がイメージされているようでした。
いや、この娑婆に生まれる以前に住んでいた本当の家かもしれません。
「迷いを翻して本家に還る」という仏教の言葉があります。一般には分家から見て分かれる前の家、一族の主となる家を本家、総本家などと申します。仏教用語としては「本来の居場所、つまり悟りの境地とか極楽浄土」を指します。すべてのものには耐用年数があり年を重ねると疲弊して機能が低下してまいります。疲れ果てたものは「本(もと)に帰ろうとします。還元しようとします。人も年齢を重ねると昔に帰ろうとします。生まれ故郷の家が懐かしくなりますし、親が懐かしく思い起こされ涙がとめどもなく流れることさえあります。
仏教では「本国」といえばつまり浄土のこと、本郷といえば本来の故郷、つまり覚りの世界のこと、そしてそこにこそ本来の本家があるとします。生まれ故郷のふるさとの家がさらにさかのぼり「生まれる前に居た仏国土」になったときそのときが本当の「帰家穏座」 (きかおんざ)のできる時かも知れません。
三仏会(さんぶつえ)
三仏会とは
①お釈迦様がなくなった日(二月十五日)涅槃会といいます
②お釈迦様が誕生された日(四月八日)降誕会といいます
③お釈迦様が悟りを開かれた日(十二月八日)成道会といいます
毎年、高山市仏教会は各お寺合同で、 降誕会(花祭り)の行事を計画します。
住職合掌
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頭陀袋027 断腸の猿 (動物・愛別離苦)
東晋の武将、垣温(かんおん)が長江の三峡を下る途中、その侍者が岸の岩場で遊ぶ一匹の猿を捕まえて船に乗せた。子猿は暴れてなき叫び助けを求めてその悲鳴は谷にこだました。このとき、山中にあって木の実を取っていた親猿は胸騒ぎがして、すぐに自分の身にも異変がわかった。絶壁の眼下、見ればまさに我が子が連れ去られようとしているではないか。
母猿の動転は極みに達した。船はすでに岸を離れている。母猿は我を忘れて追いかけた。山を下り木々を伝い、岩を飛び必死の形相であらん限りの力を振り絞って走り続けたが船は矢のように遠さかるばかり。急流に追いつくことはできない。
子猿を思う母猿は哀号しながら百余里を追走した。そしてついに船にたどり着き船に飛び乗ったが力尽きてそこで息絶えてしまった。船の者が母猿の腹を割いてみると悲しみのあまりその腸は寸寸に断ちきれていた。 こうしたいきさつから必死の思いを(断腸の思い)というようになったという。
阿弥陀様の再会
昭和の初め(今から九十年ほど前)、川原町に中島さんという畳屋さんがありました。ご主人の徳造さんはとても信心深い方で、ご先祖から伝わる阿弥陀様のお像をとても大切にしておられ、毎日のお給仕を怠りませんでした。
あるとき徳造さんは夢を見て、(阿弥陀仏は十万億土という遠いところに仏の世界があって我々凡夫をお救いくださるという。夕日の沈む西の方角から私をみて頬笑んでおられた。)
そういえば我が家に伝わる阿弥陀さまも西の方角にお移りしていただくのがいいのでないか?もったいないことであった。と、同じ町内の塗り師、町田長之助さんに相談すると、「なんということでしょう。 実は、私が帰依している恩林寺の覚念和尚さんがお寺のお庫裏のお内仏をおまつりしたいと話されたばかりです。不思議な御縁ですね。長之助さんは仏様のおみちびきと、さっそく、覚念和尚にそのことを告げ、阿弥陀様のお像は恩林寺の内仏として納められたのです。
覚念和尚はこのことを、萬福寺の当時の管長様、星野直翁猊下に報告すると猊下はさっそ く「南無阿弥陀仏」と揮毫され徳造さんに御受納のしるしに御下付がありました。中島家にお参りに伺ったおり、こんな話をしましたら、先日、ぜひ、我が家と御縁のある阿弥陀さまにお参りしたい。と、お寺に御子孫、十名がお越しいただきました。 (写真は恩林寺お内仏と、当主、中島重雄さんとそのご家族)
住職合掌
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頭陀袋045 極楽はほんとうにあるの?
あるご家庭に伺ったら、お経のあとにこんな話が出ました。
「おっ様。わしらもこの年になるとそろそろお迎えの準備もせんと、もう手遅れになると困るで、今日はひとつ、極楽の話をしてくれんかな。」とのこと。
「そうですな。わしも極楽というところへは、行ってみた事もないし見たこともないのでな。 しかし、私ら黄檗宗の教義の中に、唯心(ゆいしん)の浄土、己心(こしん)の弥陀という言葉があります。この世を浄土に、心は阿弥陀仏。という教えです。死後の世界はいろいろ取りざたされていますが、 いまだかつて生前に確かめた人はいません。私も知らないのでいい加減なことをいうわけにはいきません。死んだあとのことよりもむしろこの世のことを話したほうがわかりやすいかもしれません。地獄も極楽も、この世にありで、早い話が怒りの心が地獄で、喜びの心が極楽かもしれません。
『腹が立ったら鏡を出して顔を見よ。鬼の顔がタダで見られる。』
わざわざ地獄に行かなくてもこの世において鏡一つあればいつでも鬼に出会うことができます。極楽とは幸せのことですが、幸せとは自分の心の中に自分で作るものであり、普段より感謝の念をもち毎日楽しんで暮らせるなら、これこそ極楽そのものです。しかし、はなしとしてはよくわかるが、なかなかそうはいきません。腹を立てたり、愚痴を言ったり手に入らないものをほしがったりして、迷いや悩みが絶えません。つまりは、毎日そのものが地獄暮らしのようなものです。そこで、ぜひこのようなことから離れて毎日極楽暮らしがしたいものです。実は、地獄も極楽も紙 一重で、その人の心の持ちようで地獄にも極楽にもなるものではないでしょうか。こうしたことに気付くことが悟りというものでないでしょうか。」と、えらそうな話をした次第です。
住職合掌
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