東山連合寺院
頭陀袋022 お施餓鬼の由来について
目連尊者(お釈迦様の弟子)はあるとき、自分の母は亡きあと、どうなっているかを神通力をもって探したところ、餓鬼道に落ちて、肉は痩せ衰え、骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。
木蓮尊者は神通力をもって母を供養したいと思ったがどうしても自分の力ではどうすることもできなかった。
木蓮尊者 はお釈迦様に、どうにかして母を救うことができないでしょうか?とたずねると「お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手に振舞ったので、餓鬼道に落ちたのだよ。」夏安居(げあんご)、即ち雨季の修行の期間が済んだあと、ご馳走を用意し、修行の坊さんにお願いして供養しなさい。」と、言われた。木蓮尊者はその通りにすると目連の母は餓鬼の苦しみから救われた。といわれています。
もう一説には お釈迦様のお弟子である阿難尊者は静かな場所で座禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き髪は乱れ、目は鋭く奥で光る、醜い餓鬼であった。
餓鬼は「阿難よ、お前は三日後に死んで私のような醜い餓鬼にうまれ変わるだろう。」といった。
阿難は「どうしたら私はその苦難からのがれることができるのか?」と聴くと、
餓鬼は「其れはわれら餓鬼道に落ちて苦しんでいる衆生に飲食を施し、佛法僧の三宝を供養すれば汝の命は延び、我等もまた苦難を脱することができるであろう。」と言った。
しかしそのような金銭のない阿難は釈尊に助けを求めた。 釈尊は、「観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供えこの加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は十分に空腹を満たされ無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、 その功徳により仏道を証得することができる。」といわれた。
阿難は早速その通りにすると、阿難の命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源といわれております。
この二つの話が混同され、おおくの寺院では、 盂蘭盆の時期にお施餓鬼が行われるようになった。と、言われております。 日本におけるお盆の場合、各家の祖霊は年に一度、家の仏壇に帰ってくるものとしてお盆の期間中、毎日、供物を供える。それと同時に、無縁仏となり、俗世をさまよう霊 (水子・あるいは供養されなくなっている一切の精霊)戦没者、地震被災者、交通事故死者、三界萬霊を供養するということであります。また、近年では、餓鬼という言葉が差別に当 たるのではないかという説もあり、こうした法要を水陸会(すいりくえ)と、言うことも あります。この法会は何時行うというものではなく、仏様のご供養というものには決まっ た日にちを指定するものではありません。
高山では本町会、東山連合寺院主催で、毎年 八月十九日頃、お盆の精霊送り、川せがき という法会を柳ばしで行っております。
恩林寺では県内のお寺さんの日程もありますので、六月二十九日(日曜日)を計画いたしております。ご参詣のご縁をいただきたく追ってご案内もうしあげます。
住職合掌
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頭陀袋039 ああ、モンテンルパの夜は更けて
毎年、お盆の風物詩のように八月の十九日前後に「高山市内五十ヶ寺のうち約半分の浄土真宗以外のお寺で作る東山連合寺院による川施餓鬼が行われ、宮川べりに流れてゆく灯篭を送りながら、夏の終わりを感じます。
さて、このお盆の精霊おくりが終わりますと東山連合寺院の行事として、各、宗派の当番で当代一流の布教師さんをお招きして、各お寺をお借りして『連合布教』と銘打ってお話を聞いたものです。私の祖母はながいあいだ病床にありましたが、「必ず、ためになる話をされるはずだから、ぜひ聞きに行って来い。」と、私たちを促したものです。私はまだ中学生になったばかりでしたので訳も分からずその話を聞きに行ったのでした。
確か、八軒町の善光寺様が会場で、布教師さんは岩本為雄(いわもといゆう)という真言宗の和尚さんでした。岩本和尚さんは教縛師も務 められたかただそうで、落ち着いた中にもなかなか張りのあるお話をなさる方でこんな話をされたと記憶しております。
皆さんは渡辺はま子さんという歌手をご存知ですね。渡辺はま子さんは、戦前・戦中・戦後にかけて一世を風靡した方です。渡辺はま子さんは名前の通り横浜の出身で、師範学校の英語の先生をしていたこともあり、また武蔵野音楽学校(今の武蔵野音大)を卒業されており、戦前、忘れちゃいやよ。を歌い大ヒット、支那の夜、蘇州夜曲などの曲にも恵まれ、皇軍慰問芸術団に加わって中国各地を慰問されました。
あるとき、はま子さんの横浜の自宅に一通の手紙が届きました。これはフイリピンのモンテンルパにあるビリビット戦犯収容所の日本人囚人からで、 収容されている人たちは大戦中、多くのフイリッピン人が日本人から受けた多大な被害に対し、日本人は許しがたいというのでその半数近くが有罪となり、収容所に繋がれたままの状態だったのです。
昭和二十七年フイリッピンマニラ郊外のモンテンルパ刑務所の囚人、B級戦犯、死刑囚、代田元大尉:作詞、同じくB級戦犯死刑囚、伊藤元大尉:作曲、ああモンテンルパの夜は更けてでありました。はま子は、「自分も戦争に加担した人間である。」との責任感から香港経由で、フイリッピンに入国し、モンテンルパを訪問したのでした。この刑務所で作詞、作曲された『ああモンテンルパの夜は更けて』を歌いますと、皆が泣きながら聞いてくれました。
立ち合ったデユラン議員は私が責任を持つから(君が代)を歌ってもよい。と、許可してくれました。こうしたいきさつがあって、戦後十年近くが過ぎてキリノ大統領は、国の感謝の日に特赦をだし、収監された囚人すべてが釈放れたのでした。岩本和尚さんはまるで自分がその場所に立ち会ったように感きわまって、ああ、モンテンルパの夜は更けてを歌われますと、お説教をきいたひとたちがほとんど涙を流しながら聞き入っていました。 ああ、モンテンルパの夜は更けてつのる思いにやるせない遠い故郷をしのびつつ涙にくれるつきかげのやさしい母を夢に見る。
今にして思えば、あのすばらしいお説教は、、それぞれの戦争を体験した人たちに語りかけ、我が日本人の間違いを、現実の問題として語りかけていたのだと思いだされます。
戦後七十年、ふと、思いだしたお説教の一節を披露いたしました。
住職合掌
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頭陀袋052 すべては心によって作られる
たいていの人は小学校、中学校と進む中で 一身上の事について相談する場合、いつも一緒という親友をもっていたと思います。
周りの人も認めるほどの仲良しの友人が一人ぐらいはいたでしょう。そして、お互いに『この人ほどいい人はいない』とか、『あいつは気が許せる』と考え、あいてが学校を休むと何となく不安で一日がつまらなくなってしまいます。
ところが些細なことで喧嘩をしてしまい二度と口を利かないという犬猿の仲になったりします。そんな時は『あいつは、あんな奴だとは思わなんだ』 とか、『ひどい人間だ。』とか考えて相手を憎く思う心が募ってきます。
このように私たちは時には親しくなったり、時には憎くなったりする「心」をもっています。そうした意味でも、心とは全く厄介なものです。このことは楞伽経、華厳経などにも取り上げられています。このことは仏教において心の在り方がいかに重要であるかを強調されている証拠と言えます。な ぜかと言えば実は「心」を調整することが仏教の目的である(悟りを得ること)の出発点だからです。
私たちの心は実にさまざまなものを作り出し、しかもそれにとらわれて生きているのが真相です。たとえば、もっと金持ちになりたい、と考えた場合、 自分が金持ちになったことを想像していい気分になったとしても、ふと、我に返って今までと変わらない自分がそこにいるわけです。そんなとき、むなしい気持ちになって人生に対し絶望感すら味わうことになります。しかしその一方で自分が想像したかな生活を現実のものにすべく必死で努力する人もいます。このように心の在り方がそのまま人の生き方に反映されてくるものです。心はよいほうにもわるい方にも動きます。その心を調整してよい方に向かわせるのが仏教の修行です。体で調子の悪いところがあればお医者さんに診てもらいますが心はなかなかそうはまいりません。心は 体の外に出して直接診てもらうことができません。
中国の禅宗の初祖、達磨大師について以下のような話が伝わっています
達磨大師は少林寺で九年間、壁に向かって座禅を続けておりました。その間、誰が来ても弟子にしませんでした。ある日、慧可という人がやってきて入門を乞いますが、達磨は全く相手にしません。そこで慧可は刃物で自分の肘を切り落として決意のほどを示します。
そして「大師よ。私の心は不安定な状態です、お弟子にしてどうか安らかな心になるよう指導願います。」
達磨はこたえて曰く、「その心とやらをここに出しなさい。あなたのために安らかにしてあげましょう。」
また慧可は答えます。「心を求めましたが、どうしても手にいれることができませんでした。」
達磨曰く「慧可よ。あなたのためにすでに安らかにしましたよ。」
慧可はこの言葉により、忽然と悟りを開き、達磨の弟子になったというのです。慧可は達磨の法を継ぎ、中国禅宗の第二祖となった高僧です。心とは外へ取出し、目に見えるものではなく取り外しのきかないものです。 このようにつかみどころのない、様々な顔と働きを持つ心を人間は一人ひとり、皆が持っているのです。そしてその心をもっているのは自分だけであるような錯覚を起し他人の心のことを少しも考えません。
最近学校では、いじめの問題が大きく社会問題にまでなっています。友達から仲間はずれになったり、暴行されたりすることによって尊とい命を自ら断ってしまうという、痛ましい事件があとを絶ちません。テレビのインタビューを聞いていますと、親自身が子供の悩みに気付か無かったという例が いようです。事件が起こると、学校教育の在り方が問題となりますが、一番強いきずなで結ばれているはずの親ですら子供のことはすべてわかっているように思っていても実はほんとうの子どもの心の内を知ることはできなかったのです。このように、どの社会でもよく似た事件が起きているのです。私たちは災害などで他人が悩んだり苦しんだりしていると、その苦悩を理解したような気になるのですが、本当はわかっていなかったということを同様な事件が起きるたびに思い知らされます。人はそれぞれ違った心をもち、いろいろなことを考えて生きています。本当の心は確かに窺い難いものです。しかし、疑心暗鬼になる必要はありません。ただ、相手の心を少しでも知る。相手の身になって考える。そしてまず、自分自身が正しい心をもち正しく物事を見極めていこうとする心がけが大切ではないでしょうか。
(さんぽうの会、施本を参考にさせていただきました。)
●お寺からのお知らせ
九月十八日、歴代和尚追善法要、秋の彼岸永代祠堂法要を務めさせていただきました。今回はみなさん、運動会、稲刈りなど重なり、こじんまりとした法要でした。岐阜から正渓寺様、清見寺様、高山・宗猷寺様、 この夏、得度した鳳雅禅士がご参加くださいました。
●清見寺の庵主様(琵琶の尼様)
秋の彼岸法要においでいただきました清見寺の庵主様(琵琶の尼様)に来年もぜひ琵琶を聴く会をもよおしたいのでご都合つけてほしいとお願いしましたところ、快諾いただきました。来年度の行事予定発表のころまでには日時をうちあわせして発表い たします。お楽しみに。
●東山連合寺院、連合布教のお知らせ
高山市内ご門徒寺院様以外で作る東山連合寺院では毎年、各宗派の第一人者である布教師さんをおむかえして、お話を聞かせていただくことにしております。今年は、臨済宗、法華宗、黄檗宗の当番で、宗猷寺様のお世話で臨済宗の布教師さんをお迎えすることになりました。追って詳細はご案内いたしますが、十一月十八日、宗猷寺の観音法要に合わせ聴聞いたします。宗猷寺観音法要は三十三観音の仏像を参詣された皆さんに手渡しできるありがたい法要です。恩林寺の檀信徒のかたでご都合の つくかたはぜひお参りください。 法要には恩林寺住職も随喜させていただきます。
住職合掌
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東山連合寺院川施餓鬼(柳橋)
施食会・精霊送り 灯ろう流し法会
日時:8月19日 午後7時30分から
場所:高山市 柳橋 (雨天翌日)
受付:中橋詰・北陸銀行前・鍛冶橋詰にて、当日午後6時から
灯ろう御回向:一霊 金五百円
当日は混雑しますので、事前に下記の御寺院へ申し込んでください。
正雲寺 様:〒506-0821 岐阜県高山市神明町3丁目112
大隆寺 様:〒506-0835 岐阜県高山市春日町228
清伝寺 様:〒506-0818 岐阜県高山市江名子町561−1
法華寺 様:〒506-0832 岐阜県高山市天性寺町62
洞雲院 様:〒506-0855 岐阜県高山市愛宕町64
大雄寺 様:〒506-0855 岐阜県高山市愛宕町67
雲龍寺 様:〒506-0854 岐阜県高山市若達町1丁目86
久昌寺 様:〒506-0854 岐阜県高山市若達町1丁目86
光明寺 様:〒506-0016 岐阜県高山市末広町76
笠曲寺 様:〒506-0016 岐阜県高山市末広町49
国分寺 様:〒506-0007 岐阜県高山市総和町1丁目83
善光寺 様:〒506-0025 岐阜県高山市天満町4丁目4−3
永安寺分院 様:〒506-0007 岐阜県高山市総和町3丁目43
恩林寺でも受け付けております。