功徳
頭陀袋005 福田・恩田・福分
福田さんとか恩田さんとかいう苗字の方がいらっしゃいますね。 そのかたがたのご先祖はきっと仏教に熱心な信者だったに違いありません。 (福田) は仏教読みでフクデンと読み、福徳を生ずる田を意味します。供養すれば必ず福徳が得られるということです。
福田と呼ばれる者ははじめ仏弟子に限られておりましたが、後、拡大解釈されて三福田が数えられるようになりました。すなわち世に慕われる仏や僧を敬田、親や先生など恩に報いるべきものを恩田、貧しい者や病人を養わなければならないものを悲田という三種の福田がとかれるようになりました。
悲田については聖徳太子が四天王寺に設けられた悲田院や、光明皇后が平城京に設けられた悲田院がよく知られています。いつの世でも敬田、恩田、悲田の三福田は供養されなければなりませんし、そのことで社会が社会らしく成り立つのではないでしょうか。
また坊さんの袈裟の別名を福田衣(ふくでんね)というのはお袈裟は仏、仏弟子がいただくありがたい衣というほかにその條相が田んぼの畦に似ているからであります。
お袈裟自体に無量の功徳が備わっていることはもちろんです。これら福田をよく供養したことによる福徳の分け前を(福分)といいます。前世で行った善業の果報としてこの 世で受ける功徳が福分といっていいでしょう。 この世でうける福分の少ない人はぜひ、この世において善を積み、来世においてたくさんの福分を得られるよ うにこころがけたいものです。前世で積んだ善業がけして無駄ではなかったように今世でつむ善も来世に及ぶことを思い、毎日精進したいものです。そしてくれぐれも悪業を来世に持ち越すことのないように心したいものです。
かんのん霊場めぐり
今年は壇信徒さまの中に飛騨三十三かんのん霊場めぐりをしたいとのご希望がありましたら団参を計画したいと考えております。ご希望がありましたらお寺までお申し出ください
住職合掌
実際の頭陀袋はこちらです。
頭陀袋025 数珠の功徳 (信仰・数珠)
お釈迦様が霊鷲山で説法されていとき、ナンダ国(古代インドの小国)のハルリ王が使者を遣わし、世尊に「我が国は辺境で、国も小さく、常に兵乱が起こって食物も高く、疾病が流行して人民が困っております。王として心の休まる日は一日とてありません。願わくはお慈悲を持って仏法の肝要をお示しください。」と、哀願した。お釈迦様は「もし、煩悩や諸苦を滅したいと思うなら百八の木穂子(モッカンシ)をつなぎ、行住坐臥、常に身に着けて、心の散乱を止め、仏法僧の三宝の名を念じ数珠を爪繰りなさい。そして百辺、千辺、百万辺せよ。もし、一万辺になれば百八煩悩は断つことができよう。もし、二十万辺を満たせば夜摩天宮に生じ、衣食、は自然に備わり、安楽を得ることができるであろう。」とのお示しであった。王は大いに喜び、さっそく数珠、一千連をつくらせ、六親眷属に与えて、作善に努めた。王は常に称念して軍陣に出ても数珠を離さなかったという。
解説 (百八、というのは、除夜の鐘のように、人間の煩悩を表す数のことを言います) 経典による、数珠の起源とされている木穂子は俗にムクロジという黒い木の実で堅く、金剛子ともいわれております。百八の半分五十四、二十二、の数珠玉を仕立ててある場合もあります。
お寺からのご報告
先の頭陀袋でもお知らせいたしました恩林寺の施餓鬼法要は六月二十九日、檀信徒様をお迎えしてお勤めさせていただきました。県内 の黄檗寺院の和尚さんのご協力を得て近年になく盛大に行うことができました。こうしたお施餓鬼はじつに八十年ぶりかと思われます。 また、翌週、土曜日には檀家さんの成瀬克子さん夫婦が主体となり、インドの弦楽器、サントールの奏者、ジミー宮下氏を招きライブ を行いました。当日は、富山、岐阜、などよりライブを聞きに来てくださった方もあり、大変盛況でした。お寺といたしましてもこうした機会に皆さんに利用していただき、少しでも御縁につなげ ていただけたらと思っております。また、七月第四日曜日は、明晶会様主催、暁天座禅会 が予定されております。
住職合掌
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