萬福寺

1.黄檗山萬福寺

京都の南の郊外。宇治の里は、平安朝時代から貴族の別荘地として知られていました。今、この地訪づれてみますと、そこには当時の栄華を誇る平等院の殿堂や、寺社の面影を髣髴とさせる幾多の遺蹟を見ることができます。
そのなかにあって、ひときわ異彩を放った伽藍(寺の建物)が、宇治茶の香漂う五雲峰の麓に荘厳な甍も空高く聳え建っている一廓があります。

俳人菊舎が、 「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」

と詠たっておりますように、この寺の境内に足を一歩踏み入れますと、中国がここに出現したのではないかと思われるような建物が次々に展開されて来ます。

この寺は黄檗山萬福寺で、寛文年間、隠元隆琦禅師によって開創されました。これから述べようとする二祖木庵性瑫禅師によってこの寺の山門を始め多くの伽藍は今日目の前に見るように整備されたものでした。

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木庵禅師物語 01~05 2019/02/01takenoko

頭陀袋029 薬王山大寧寺住職、五島海南和尚を訪ねて

平成二十六年十月十八日、関市迫間、正渓寺を訪問した帰りに、美濃太田の大寧寺に住職、海南和尚を訪ねた。庫裏には人の気配はないが書斎の窓は開けたままで日当たりのいい場所にはむしろにたくさんの銀杏が干してある。隣接する水屋のほうに回ってみると和尚が六十代と思われる女性と銀杏の果肉をとるために洗濯機を回しながら作業中であった。

(以下、恩:恩林寺住職 大:大寧寺住職)

恩:和尚さん。こんにちは。高山の恩林寺です。だいぶ耳が遠いらしく大きな声で声をかけると、
大:おやまあ。久しぶりやねえ。よう来てくれやした。さあさあ、ちょっとやすんでいかんかね。

恩:今日は正渓寺さんまで来たもんで、ちょっとおっ様の顔が見たくなって、寄らせてもらいました。
大:ほうかね。こんなとこで、黄檗のボンさんに会えるなんて、ありがたいことですな。わしも、もう、ええとしやで、だーれもあいてにせん。

恩:和尚さんはうちのおやじと同参とか聞いてましたが、何年生まれですか?
大:うん、儂は、あと三日で、満、九十八やで。もう、耳は聞こえんし、新聞も読めんようになった。お宅さん今日は運がえかった。今度はもう会えんかもしれん。毎日がこれで終わりじゃとおもっとるんやで。ちょっとまってよ。娘がお茶持ってくるんで。今日は二番目の娘が手伝ってくれるんで、銀 杏を洗っていたとこや。

恩:しかし和尚さんお元気で何よりですな。いまもおひとりで暮して見えるのですか?
大:うん。わしの両親は本願寺の門徒さんで、そりゃもう厳しい人やった。毎朝、お仏飯を備えて、お経を読まされる。子供のうちに、阿弥陀経や正信偈はそらでおぼえてしまった。それから本願寺の寺の小僧に出て、十年暮したね。旧制中学出たらすぐにおやじは、お前は大寧寺へ行け。というので、大寧寺の小僧にしてもらって、それから黄檗山の禅堂に入った。当時は厳しい修行が待っておって、苦労したねえ。

恩:和尚さんは品ヶ瀬全提さんと同参とか?
大:エッエッ?どうして全提さんしっとるの?

恩:儂のおやじと同年代ということもありますが、全提さんの弟子という尼さんと、講習会で一緒になりまして。
大:ほうかね。全提さんには親切にしてもらって、よう、面倒みてもらったね。その尼さんというのがこの寺へ訪ねてきてくれたことがありましてな。あの尼さん、途中から全提さんの弟子になって、ついに全提さんのお寺をついでくれたとか聞いたが、人間わからんもんやね。わしもこのあばら寺に八十年住職やって、檀家もないが草むしりばかりしているうちに同参も、知り合いもみんな死んでしまって、最後に残ってしまったもんやから、だーりもたずねてこーへん。しかしな、こうなるのも、偶然でなーて、自分の運命というか宿命なんてものは初めから決まっておったんや。知らんのは自分だけ。あ、ちょっと失礼、しっこがしたーなった。

すぐ目の前の柿の木めがけて ちょろちょろ…。

恩:和尚さん、しかし広い畑を管理してたいへんですね。
大:ほうや。この畑は全部昔は寺の境内やったが、くさむしりばかりするのがたいへんやで、どうせなら畑の草むしっとったほうがええで、根気にやっとるんや。この頃は あんまりほとけさんのおもりも充分でけようになって、ほうや、今年はどうにか皆さんに助けてもらって施餓鬼を、わしが導師で務めたが宝蔵寺さんとこは無住やで、やめてしまったそうや。法蔵寺はわしの遠縁やが、早う逝ってしまったしなあ。もう二十年になるかしらん。しかし、この年になるとお経も忘れてしまって、よう、出てこんでいかんわ。昔は習字の先生もしてみたけど、もう筆も持たん。字も書かん。 あ、恩林寺さん、銀杏好きなだけ持っていきゃー。この頃、銀杏の木がでこうなって、 身が小粒になってしまって、値打ちのうなっていかんわなあ。

(五島海南和尚は大正五年辰年生まれ、黄檗宗第十八教区の長老。恩林寺十二代正念和尚とともに黄檗山、関義道老師について修行、現在、数えの百歳、大寧寺の現役住職。父、正念和尚の葬儀、兄、弘文和尚の葬儀の導師を務めていただいた。以前は岐阜大学に勤務、伊深、正眼短期大学に聴講して、漢詩を得意とする。美濃太田 大寧寺に独居)

黄檗山の鐘楼、鼓楼

237028.png黄檗山では朝、五時に開静(かいじょう) 夜九時に開枕(かいちん)と言って大鐘と太鼓をもって時刻と消灯、大衆に起居、動作の始終を知らせます。また、賓客来山の時は鐘鼓交鳴して歓迎を表します。
人間は二つの耳を持つといわれています。一つは日常生活において使っている感性の耳であります。いろいろの物音を聞いてそれを知ったり、おたがいに話し合って意志の疎通をしたりしている耳であります。
二つは梵唄(ぼんぱい)、音楽等を聞く霊性の耳であります。これは同じ耳で聞くのですが、おごそかで美しい音によって、日常のそれと違った幽玄の雰囲気に入らしめてくれる耳であります。音楽は誰が聞いても美しい音であるはずですが必ずしも誰でも心に感ずるとは限りません。これにはやはり音楽に理解を持つ、持たぬということがあります。

何かの機会にこれを理解するようになると、そのひとが知らなかった一つの世界が開かれます。この私のどこか深いところに一つの霊的自己とでもいうものが潜んでいて、それが微妙な響きの中に、ふとその首をもたげ私の目をさましてくれます。 たとえば鐘の音は一つですがさまざまな思いをその人にあたえてくれます。過去の集合表象や心の底に結びついている無常感などが宗教の風光をひそかに伝えてくれます。
黄檗宗では読経の初めに香讃(こうさん、) 終わりには結讃(けっさん)、と言って唐音で節経 (メロディーのあるお経)を唱えます。
微妙の響きは、ある時は無常、無我、静寂 を運び、聞くものを無量ならしめます。

住職合掌

頭陀袋029 薬王山大寧寺住職、五島海南和尚を訪ねて

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平成26年 2019/02/03takenoko

頭陀袋040 座禅の入門

315945.png今月は座禅についての解説をいたします。恩林寺の早朝座禅会の資料よりご案内をいたします。

みなさんはようございます。今朝は早朝座禅会ということで皆さんにお集まりいただきました。ご存知のようにこのお寺は禅宗の中の黄檗宗に属し、曹洞宗、臨済宗と同様、座禅による修行を第一とする宗派であります。 『唯心の浄土、己身の弥陀』といいますね。 座禅によって、身心を整えることが大切です。

大本山萬福寺では、毎日の日課として、まず午前四時半に起床の合図である版木がなります。謹白大衆、生死事大、無常迅速、各宜星覚、謹勿放逸。 あの広い境内に、各所に版がつるしてありこれを鳴らしながら一巡します、(典座司、テンゾースー。 阿弥陀、オミトー)と返事があります。

この合図があると、15分以内に洗面、着替え、出頭、といって回廊に集まり、本堂に整列します。

此処から鳴り物入りの朝のお勤めがあります。黄檗のお経は節回しがたいへん難しく、梵唄(ぼんぱい)といわれております。

朝課は三十分かかりますが、恩林寺ではこのあと、歴代の和尚さんのお経、檀信徒様の先祖回向、難病で苦しんでおられる方の病気回復祈祷、最後に檀信徒さま、ご縁のある皆様の今日一日の健康祈願、交通安全、諸縁吉祥を念じてあさのお勤めとしております。 これが終わりますとおよそ一時間がかかります。

黄檗山の話にもどりますが朝課が終わりますと,禅堂という座禅をするお堂に異動しまして、ご本尊の観音菩薩に般若心経をお読みしまして、各自の単(自分の席)に着きます。すると大きなヤカ ンを持つた和尚さんが現れて、各自の湯のみに梅湯を注ぎます。これで心と体を引き締めて座禅に入ります。

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座禅は下あごを引いて,結跏咲坐、あるいは半跏咲坐、あるいは正座します。
頭のてっぺんからお賽銭10円を落とすとしりからぽとんと、おちるような姿勢です。前後、左右ゆっくり体を動かして、体制を整えます。

舌べろを上あご、歯の付け根に固定します。 座禅の時間は一柱といって線香一本が燃え尽きるまでの時間を言います。座禅の時間は、ときに二柱、三柱のこともありますがほとんどは一柱です。時間は約四十分。途中、痺れを治したり、姿勢を直したりすることが許されますが、他人の迷惑にならないようにします。座禅は数息感といって、吐く息をゆっくり一から十まで数えます、また一までもどって十までゆっくり数えます。なぜ吐く息かといいますと、吸う息は呼吸を引き取る。つまり死んでしまいますね。
人間は生まれるときは満潮のとき生まれ、死ぬときは干潮のときに死んでいきます。われわれ好むと好まざるとに関わらず自然の摂理というものはそうしたものなのですね。

黄檗山では、座禅の時間に入りますと、裏山で、カラスがさかんに鳴きます。少し慣れてくると、どういうわけか、この泣き声がぜんぜん気にならなくなります。恩林寺ではどんな音がきこえますかね?

では座禅の姿勢、座禅中の鳴り物についての解説は経本の一番最後のところを見てください。 座禅前の般若心経はそのうち経本なしでも唱えられるよう、練習が必要です。では、私たちも、座禅に挑戦して見ましょう。

さて、座禅はまずその態を重要視します。曹洞禅では只管打座と言って、ただただすわることを第一とします。臨済禅では、公案と言って座っている間中、考える、たとえば、片手の音を聞いたこ とがあるか? 片手の音とは? 考えながら座禅をします。私たち入門の段階では先ほど申しましたように、まず姿勢を整え、一から十までをゆっくり数えるところからはいればそれでよいと思います。それでは、萬福寺の講習本から座禅に入る手順を紹介いたします。

住職合掌

頭陀袋040 座禅の入門

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平成27年 2019/02/04takenoko

頭陀袋044 正しいことだけがよいわけではない

人は正しいことがよい。間違っていることは悪いと思いがちです。誠実なことやくそくをまもること、誰かのために尽くすこと、愚痴を言わないことが立派だと思いがちです。

しかし、その裏側にある自分のきもちに嘘をついたり苦痛だったり、無理をしている自分に正直になっているでしょうか?どこにでもある夫婦喧嘩の内側にはお互いの我慢とわがままが、いろいろな形で表れているのです。相手を思う自分の気持ち、自分を認めてくれない相手への不満が一番よく知っている相手を深く傷つけるものです。その時起こった出来事でいつまでも心が沈んでしまうのは大切なことを見落としてしまっているのです。今、起こっている真実を、もっと大きな宇宙レベル、仏様レベルの眼で見ると全く違う形だったりします。案外、誰かの優しい気持ちを見落としていたりするものです。辛いとき、苦しいときはご神仏の前で静かに座ります。大丈夫、必ず良くなるぞ。という声なき声が聞こえてきます。

節分の贈物

1354773.png毎日、忙しさに追われているせいか、気が付いてみたらもう一月も終わり二月の節分が近づいております。私は昔ながらのたいせつな人たちに高山の銘菓(三島豆)を贈っております。年末のお歳暮の時期より、正月も済んで少し一段落、今年のこと、これから起きる事などについて冷静に考える時期だからです。 節分の豆を食べながら高山のことも思い出してほしいからです。こうした発想は、昔つかえた社長さんから教わったものです。
「贈り物をするのでも中元、歳暮の時期が来たからとか、そうした習慣だからというのでなく、芋が取れたら芋、ネギが取れたら葱、いい時期に自分の気持ちが伝わるようにしなければならない。」この言葉は大正生まれの大先輩の言葉として今もたいせつにしております。

鉄眼禅師の一切経

1385646.png鉄眼禅師は三百五十年ほど前、黄檗宗の開祖隠元禅師について禅を修業されました。仏教を広めるために一切経の出版を思い立ち、自ら版木つくりの資金を求めて全国行脚をし、困っている人を助けながら三度資金集めをされ、十年の歳月をかけて、ついに一切経、六千九百五十六巻の版木を作り上げられました。

翌年、過度の疲労のため五十三歳でお亡くなりになりました。遺骸は黄檗山宝蔵院に葬られました。今でもこの手刷りの一切経は黄檗山萬福寺の宝蔵院 で印刷されております。版木の字は明朝体といい、今でも新聞などで使われる書体です。

飛騨ではこの黄檗版一切経を収蔵されているお寺は、下岡本・願生寺様。古川町・真宗寺様。宮川町・祐念坊様。であり、それぞれ経蔵に大切に納められております。

住職合掌

頭陀袋044 正しいことだけがよいわけではない

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平成28年 2019/02/09takenoko

頭陀袋060 売茶翁の話

黄檗山萬福寺は中国風のお寺として有名ですが隠元禅師が煎茶・番茶の習慣を伝えられ庶民の間に普及したことはあまり知られていません。

隠元禅師に付き添い日本に渡った独湛禅師は黄檗山第四代を継がれるのですが独湛禅師は隠元禅師と同じ故郷、福建省の出身であり、福建省はお茶の産地としても知られています。独湛禅師の弟子、売茶翁について触れてみたいと思います。

sadou_kimono_man.png売茶翁は肥前蓮池(佐賀県佐賀市)の生まれ、城主鍋島家の御典医、柴山氏の三男として生まれ、十一歳で肥前龍津寺化霖について得度します。十三歳で黄檗山萬福寺に入り独湛禅師に参じました。二十二歳で陸奥に行き雷山で苦行をしたのち故郷の肥前に帰ってきました。五十七歳の時、師匠がなくなると龍津寺を法弟、大潮に譲り京都に戻ります。六十一歳の時通仙亭を開き、自ら茶道具を担い、京の大通りに喫茶店のような簡易な席を設け、禅道と世俗の融解した話をしながら客をもてなし、人の在り方、人の世の生き方などを説いたといわれています。

相国寺の和尚はその内容を書き残したらと進めたのですが、「仏弟子の世に居るや、その命の正邪は心にあり、事跡には非ず、そも袈裟の仏徳を誇って世人の喜捨を煩わせるのはわしの持する志とは異なっておる。」と述べたという。

七十歳になり、十年に一度は故郷に帰るという約束を果たし、突然自ら還俗(坊さんを辞めて俗人に還る)。 自ら高氏を名乗り号を遊外としました。気が向かなければその日は店をしまう、というような気楽な生活でしたが貧苦の中、喫茶する人のために煎茶を売り歩く毎日でした。

八十一歳になった遊外は売茶業を廃業、愛用の茶道具すべてを燃やしてしまいました。(私の死後、この道具たちが後世の俗人たちにわたって辱められたら、道具たちも私を恨むだろう。だから、お前たちを火葬に付してやろう。)という思いであったようです。その後、揮毫(字を書く事)によって生計を立て、八十七歳で蓮華王院(三十三間堂)の南にある 幻々庵で息を引き取りました。

売茶翁を偲び 黄檗山萬福寺には売茶堂があり、煎茶に親しむ茶人によって守られております。

住職合掌

頭陀袋060 売茶翁の話

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平成29年 2019/02/10takenoko

頭陀袋064 人生の旅も変化がある方が味わい深い

長野県塩尻市の曹洞宗無量寺東堂 (前住職) 青山俊董(あおやましゅんどう)師は曹洞宗の大教師として尼僧教育に努められ八十二歳の今もご活躍です。

今年九月、海竜社から出版された単行本は素晴らしいことが たくさん書いてあるのでまとめ買いをして親しい仲間に施本をいたしました。その内容を一分紹介いたします。

亭主関白だった御主人を亡くされたMさんがしみじみいった。
「主人のいるうちはこんなわがままな亭主はいなくなったらさぞかし楽になるだろうなあと思いました。ところがなくなってみて初めてこんなに風除けになってくれていたのかと、遅ればせながら気づかせていただきました。毎日お線香をあげては主人に詫び、また感謝しています。」

月も雲間があったほうが楽しいよう に人生の旅も変化があったほうが良い。愛する日あり、憎しみあう日もあり成功して天にも昇る思いになったり失敗して谷底の沈む思いになってみたり、生まれた喜び、死んだと嘆き、おかげで七十年、八十年、退屈することなくすごさせてもらうことができる。月と雲と、空とそして地上の山やススキと、全体が一つの視野の中にあるから美しくまた楽しいのである。人生の景色も愛の時は愛にのみとらわれ憎しみに変わったら憎しみのみで他が見えなくなってし まうと楽しくない。愛と憎しみとは一つのことの裏表。「こんなに憎らしいのはこんなに愛している証拠」一方の姿にとらわれず常に全体の展望ができる目の高さを持って生きることができたら人生の味わいは深いものになるでしょう。

お寺からのお知らせ

ことしの秋の彼岸総回向法要は、下岡本町 和合会物故者法要、恩林寺門前おやじ会、檀家様の年忌法要などが重なり、彼岸中、夜座を設けお寺だけで祠堂回向、永代経供養、三十三観音参拝者各位の先祖供養をさせていただきます。

黄檗宗管長近藤博道猊下御親修

ご本尊聖観世音菩薩奉賛法要について 管長猊下はかねて末寺の活性化のためよりたくさんの末寺を訪問し、檀信徒の皆さんにおあいしたいとのご方針から就任以来、積極的に地方の末寺の御親修をされております。
この度骨山、恩林寺にお運びいただける こととなり、来る十一月十一日午前十時ご本尊聖観世音菩薩奉賛法要をお勤めすることとなりました。檀信徒様のご参加をぜひともお願いいたします。
恩林寺ご本尊は昔、黄檗山萬福寺聯灯堂の秘仏でありましたが直翁管長の時代に下付されたというご縁があります。

頭陀袋第六十四号について

先日、森下町の寺脇さんから電話がありました。「和尚さん、頭陀袋は六十一号が二枚もあるよ。」とのご託宣。
坊さんは名前の通りボーッとしておりました。つまり今回は六十四号にあたります。ごめんなさい。

住職合掌

頭陀袋064 人生の旅も変化がある方が味わい深い

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平成29年 2019/02/10takenoko

頭陀袋066 雲 無心

「都市に住みビジネスに走り回る人々はつまらないことでいがみ合い怒鳴り合ったりしている。空を仰ぐことを忘れているからだ。

空はいい。雲が形を一瞬一瞬変えながら流れていく。こだわりなど、どこにもない。

雲は無心にして咄を出で、鳥は飛ぶに倦んで還るを知る。(帰去来の言葉)陶淵明は大空を仰いで天地自然のこだわりのない無心の感動を覚えている。

詩人の魂に都市の生活に疲れたじぶんの心を比べると涙が出るほど今の自分のみじめさがわかる。

どうしてこんなに心が乾いてしまったのだろうか。そんなとき一日、空を仰いでみる。乾いた心を溶かしてくれるのがよくわかる。

ご報告

十一月十一日ご本尊聖観世音菩薩慶賛法要,宗祖、隠元禅師追悼並びに檀信徒各家先祖供養が務まりました。

66ss.jpg当日は黄檗宗管長、近藤博道猊下,
名古屋真聖寺:木村信安和尚様
岐阜市真聖寺:村瀬正光和尚様。
各務ヶ原清見寺:中野妙照禅尼様
宗猷寺:今城東徹和尚様
恩林寺住職、徒弟:鳳雅禅士が加担くださいました。

恩林寺で管長猊下をお迎えするというのは実に八十年ぶりでありまして大変うれしいことでした。引きつずき猊下の御親教があり、次に犬山市先聖寺住職:芹沢保道老師の、黄檗文化と私たちの生活について、と題し、隠元禅師の生い立ち、禅師がもたらした煎茶、食材、思想などの興味深いお話があり、皆さんで食事をしたのち解散いたしました。
管長猊下は翌日にも御親教を控えておられご多忙の中の御巡錫でした。

住職合掌

頭陀袋066 雲 無心

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平成29年 2019/02/10takenoko

頭陀袋076 数珠について

数珠について

数珠についてパソコン(インターネット)を開いてみますと、玉・石・種子・香木などを使った小玉を連ね通して環としたもので、佛号を唱えたり、真言陀羅尼を唱念する回数を数えたり仏を礼拝するときに手にかける法具、と出てきました。

私がよくお伺いするご家庭で家族みんなのお数珠があり、仏壇の横の数珠掛けにかけてあり、お経が始まるとおばあちゃん、お父さん、お母さん、子供さん兄妹、皆さんがそれぞれマイ数珠を手にかけお参りされます。私はこれこそ本来の数珠の在り方ではないかと、日ごろ感心しております。
「和尚さん。お数珠はどうしてこんなにたくさんの玉があるの。」
「それは、私たちのわがままとか、人に迷惑になるような悪い心が、独り歩きしないように、ひもで結んであるんやよ。ほれ、この一番大きな玉が私でそのほかの飾りの玉はお父さん、お母さん、おばあちゃん、それに亡くなったおじいちゃんたちなんやよ。仏様の前で「私はわがまま言いません。みんなに迷惑かけません。悪い心を起こしません。私の悪い心はこの紐に縛られて飛び出しません。仏様。いつも私をまもってくれてありがとう。」と、お参りするんやよ。」なんて説明しています。

数珠の環の数は通常、百八あり、百八煩悩をあらわしますが、半数の五十四個、更にその半分の二十七個の場合もあります。

昔は菩提樹の実や水晶などが用いられましたが現在はそれらに変えて簡素なものや、豪華なものがもちいられるようになりました。また宗派によって指定された数珠を用いる場合もあります。しかし数珠は自分の分身のように持ち歩き、お寺の行事、ご不幸の時のお参りの時など身近な法具として生き続けることは有難いことです。どうか箪笥や仏壇の引き出しにしまい込まないように日頃活躍の場を与えてやっていただきたいと思います。

また、紐が切れた・房が取れたといったトラブルが発生した時、「縁起が悪い」という人がありますが、決してそのようなことはありません。珠が散逸しないよう早めに仏具屋さんに相談し、修理して大切に使いましょう。

隠元禅師三百五十年遠忌

二〇二二年は宗祖隠元禅師が亡くなられてから三百五十年目にあたります。宗祖の功績をたたえ黄檗宗の法灯を伝えていけることに感謝し、三百五十年前宗祖は何を思い中国から日本に渡られたのか、日本において何を伝えようとされたのかを再考するとき、宗門だけでなく、仏教界全体の興隆に努力することが今の私たちのなすべきことかと思います。

宗祖が日本に渡られまず初めにおこなったことは受戒会です。宗祖の禅の特徴は持戒禅です。自身の三宝に帰依し、自らの規律である戒をよく保ち、自分を律することに厳しかったといわれております。黄檗のお受戒についての解説は次号に譲ります。

住職合掌

頭陀袋076 数珠について

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平成30年 2019/02/25takenoko

満開の桜を本山からお届けします

萬福寺では、桜が咲きました!

寝る時にいつも蒸したタオルを顔に載せる恩林寺の小僧です。
萬福寺では、桜が咲きました!

写真

とても綺麗な満開の桜です!!

桜といえば、お花見。今年のお花見は行かれましたでしょうか?

ふと思ったんですが、お花見って桜がメインで、梅や桃にはあまり、興味を持ちませんよね。

春といったら、ピンク色ですが、”桜のみ” 象徴されてるのではないでしょうか?

確かに、桜は綺麗ですし、外国の方も桜を見に来られる方もいます。

でも、梅だって綺麗なのです。
なのにどうして比較されるのでしょう…小僧は未だに謎で仕方ありません。

萬福寺には桜が咲いてます。私が言いたいのはただそれだけです。

小僧合掌

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黄檗山萬福寺 2019/04/08takenoko
タグ:萬福寺

お粥

夢の中でフライパンが落ちてきて恐怖で目覚めた恩林寺の小僧です。

実は、風邪をひいてしまいました。

熱は推測37.5ほどなんですが、なんといっても、鼻水と咳が止まらないのです。

授業に行くまでに、電車に揺られて1時間かかります。とても大変な思いをしながら通いました。

風邪をひくと、親が側にいてくれることの有り難さと普段から健康にいられることの有り難さを痛感いたします。

小さい頃は、風邪をひいた時のお粥がとても美味しかったのに、僧侶の生活では、毎朝がお粥なので、なんとも言えません。しかし、母の手作り料理は今でも舌が覚えているくらい、とても大好きです。

あれこれと面倒くさいことも山ほどあると思います。しかし、風邪をひくと、やらなきゃ行けないことまで出来なくなります。

普段から、風邪の予防に努め、また少しでも親孝行できるように、僕もですがお互いに頑張りましょう。

萬福寺総門

萬福寺では、桜も散り、緑が多くなってきました。くれぐれもどうかお体は壊さないよう、お過ごしください。

小僧合掌

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小僧さんの話 2019/04/29takenoko

ブログ運営者

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檀信徒の皆さんに『一休さん・珍念さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております恩林寺徒弟、鳳雅禅士です。

住職との血縁関係はない在家出身ですが、恩林寺で僧侶となる仏縁を頂戴し、幼き頃からの夢を叶えることができました。

今は京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)にて修行しながら大学に通わせて頂いておりますので、普段は恩林寺におりません。

年末年始やお盆には帰ってきます。その時に皆さんと笑顔で会える様に「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。

感謝・合掌。