涅槃会

頭陀袋021 施食のはじめ (施食、慈悲)

ある僧が閑静な樹の下で一心に座禅して修行をしていた。すると樹のうえに猿が棲んでいて、僧が食事をしていたとき、食べ物がほしくなって樹から下りてきて僧のそばにやっきた。

237020.png僧が猿に残飯を与えると、かれは鉢の底まで舐めて、食べ終わると感心なことに水辺まで行き鉢をよく洗い、僧に返すのだった。

こうして何ヶ月か経ったある日、坊さんはうっかり食事を食べ残さずに鉢を空にしてしまった。猿は、当然施されると思った食べ物が 無いので大変怒り、僧の袈裟を奪ってズタズ タに裂いてしまった。此れにはさすがの坊さ んもカッとなり、杖で猿を打つと、当たり所が悪くて悶絶し、死んでしまった。するとそ ばにいた数匹の猿が寄ってきてかなしみ、死んだ猿を担いでお寺に運んで行った。

寺の住職は「此れは仔細なわけがあるのだろう。」と思い、寺内の僧を集めて、誰かそのわけを知らないか?と、たずねたところ、誤って殺してしまった僧が、前に出て、正直に話した。そこで、これから僧が食事をするときはその 一部を取りおいて動物や虫に施すようにした。

施食の慣わしはこうしたことから始まったといわれています。

お経にこのような言葉もあります。その飯、もし食せんと欲するとき、まず鉢中の飯を出して分かちて五分となせ。一分を路行に準擬す。飢人来たれば即ち是なり。一分を水中の衆生に施し、一分を陸地の衆生に施し一分を七世の父母および餓鬼の衆生に施せ。残りの五分を、足ると足らざるを問わず自らの食とせよ…と。

黄檗山のさば台

わが黄檗山万福寺の境内にさば台という石の台があります。是は修行僧たちの毎日の食事から、鳥や虫にも食事を施し、みんなが今日 一日、与えられた命を大切にしましょう。という隠元禅師の思いやりを今に伝えております。また、隠元禅師は若いころ、中国各地を 修行して歩かれたのですが、とらわれた鳥や獣を買い取って逃がしてやった。といわれて 居ります。万福寺の山門前には、放生池という池があり、人間に捉えられた魚を逃がしてやる目的で、放生会という仏事も伝統的行われております。

お寺からの一言

三月十六日 (日)涅槃会(ねはんえ)永代祠堂回向会を勤めさせていただきました。

涅槃会は申すまでもなく釈尊のおなくなりに なった(旧暦二月十五日)が新暦の彼岸のころになるので彼岸会とあわせてご供養することが多いようです。当日は、ご家族ずれの方、 お年寄りの方々はじめ沢山お参りいただきました。

岐阜からお越しいただいた和尚さんがたも高山に来るのが楽しみ、といっていただいております。こうしてお寺に出向いていただけること自体、ありがたいことであります。 つぎの行事の予定は六月末日、県内の黄檗宗の和尚さんたちにご協力いただき、お施餓鬼の法会を計画しております。 頭陀袋、第二十二号はお施餓鬼について少し 解説させていただきたいとかんがえております。

住職合掌

頭陀袋021 施食のはじめ (施食、慈悲)

image_preview.png実際の頭陀袋はこちらです。

≫ Read More

平成26年 2019/02/03takenoko

頭陀袋032 それぞれの人生

先日、スクラップブックを整理しておりましたら分子生物学者でノーベル賞を受賞された利根川進先生が、日本経済新聞の私の履歴書という欄に投稿されているのを見つけました。毎日いろいろな話題が出てきて、最後の二十九話目に私の家族というタイトルでした。 私には大変心に残るはなしでしたのでここに紹介します。

私の履歴書(29) 私の家族

利根川進 家族について少し紹介しましょう。

妻の真由美とは 1985 年に結婚しました。 彼女は当時NHKで教育番組や特集などを担当するデレクターでした「21 世紀は警告する」という、特集番組を作るために私にインタビューを申し込んできて知り合いました。私たち夫婦は長男の秀(ひで)長女の英(はな)二男の知(さと)の二男一女に恵まれました三人ともボストンで生まれ育ったアメリカ人です。

子育てに関してはいろいろな機会をできるだけ与えようと心掛けました。三人ともとても心優しい人間に育ったと思います。

秀はマサチューセッツ工科大学を卒業して日本のIT関係の企業に就職し、東京で一年足らず働いたのち、その会社が買収したサンフランシスコにあるアメリカの会社で働いています。

英はニューヨークの伝統あるスキドモア大学を卒業したのち日本政府が行っているJET (英語が母国語の若い大学卒業生を日本に招 いて中学高校で英会話の授業を補佐する)プログラムで埼玉県の高校で一年間働いたのち この秋からパートタイムでマスコミの仕事をしています。

知はずば抜けて才能に恵まれたミステリアスなところのある子どもでした。何をやってもすんなり素晴らしくよくできてしまう。物理、数学、歴史をはじめとする学業一切はもちろんチェロとピアノを演奏しましたが、ピアノのコンペテイションで勝ってカーネギーホールで演奏するほど音楽の才能 にも恵まれていました。いつみてもクールで余裕がある。これほどすごい才能を持った子供は、将来どうなるのだろうと、本当に楽しみにしていました。知は小さいころからサイエンテイストになると決めていて三人の子供の中で唯一、私の知っている世界を目指していました。夏休みにMITの生物物理研究室で働いてみたいというので彼が教授との面接に行ったのです。後で何を質問されたのか尋ねてみると「何を目的にこの研究室で働きたいのか」と聞かれたと。そ れに対して「エデュケーションインスピレー ション&フアン」と答えたというのです。まったく十七歳とは思えないような答えです。 もちろん研究室にうけいれてもらいかなり真剣に研究したようで後に、「セル」という科学誌の論文に共著者として名前が載ることになっているそうです。(一高校生がここまでできるとは信じがたい)と、教授から言われました。

科学を志していた知は残念ながらMIT1年生の時、誰にも告げずに十八歳で夭逝してしまいました。 親にとってこれ以上の残酷はありません。 私も残された人生はそれほど長くはありませんが、最後まで十字架を背負って生きていかなくてはなりません。実は私はあまりにもつぎから次へと幸運に恵まれてきましたので以前から時々、[大丈夫かな」という気がしていました。

私は宗教を持たない人間ですが、やはり天は禍福を調整したのではないかと。もしそうならノーベル賞、その他の幸運はいらないから知を返してほしいと心から思います。深い悲しみにくれる日々ですが、本当に短い間ではありましたがあれほど魅力的な若者と過ごせたことを感謝しなくてはならないのかと思うこともあります。 おわり

*人は幸せそうに見えてもそれぞれに深い憂い、かなしみをもっているものです。

他人の幸せをうらやむより、まず、自分自身の幸せに感謝しなければなりません。

お彼岸

213100.pngお彼岸は、春と秋の二回あり、春分、秋分の日を中日とし、前後三日を合わせた七日間を言います。

ご先祖様や自然に感謝をささげる仏道精進の期間で、日本独自の仏教行事です。

お彼岸にはお寺の法要やお墓詣りに行き亡き人に思いをはせ、感謝の誠を捧げます。

お仏壇の掃除はもちろんのこと仏具などもきれいに磨き、季節の新しい花をお供えします。

お彼岸には、おはぎ、団子、御霊供膳、お菓 子、果物などをお供えいたします。

 

涅槃忌

654409.png釈尊が、沙羅双樹の下で入滅された日にちなむ法要です。涅槃図は沙羅双樹のもとに横臥した釈尊のまわりを弟子や動物たちが取り囲んで悲しむ図 で、中でも京都、こう東福寺の明兆作大涅槃図が最も有名です。釈尊の入滅された日は実際には定かではありませんが「大般涅槃経」の記述には二月十五日とされております。 高山では、新暦、三月十五日、あるいは春の彼岸会と同時に、涅槃忌を行われるお寺が多いです。

東山の禅宗寺院の本堂や、恩林寺ではお彼岸中、涅槃像がかけられております。また、涅槃像といっても厨子に納められている、立体的な像を拝したことがありますか?

城山の曹洞宗大隆寺には高山には例のない立派な涅槃像があります。和尚さんにお願いしてぜひお参りしてください。

涅槃忌や皺手合する数珠の音  芭蕉

住職合掌

頭陀袋032 それぞれの人生

image_preview.png実際の頭陀袋はこちらです。

≫ Read More

平成27年 2019/02/04takenoko

頭陀袋033 目がものをいう。

話をする、ということは難しいことです。

井戸端会議や雑談を得意とする人でも改まって人前での話となるとなかなか難しいようです。世の中、どちらかといえば能弁な人より、口下手なひとのほうがおおいのではないでしょうか?中には人前ではほとんど口のきけない内気な人もおられます。そのような人と話をするのには言葉より、むしろ体全体を通して、心の窓である目の動きや輝きに、そしてそのうるおいに注目したいものであります。

group_people.png仏教では(布施)を、大切な修行としています。布施行には「無財の七施」があり、その一つに「眼施」というのがあります。これは、人には良い眼をして接するということであります。べらべらしゃべるよりやさしいまなざしで人に接することができたらどんなに素晴らしいことでしょうか。目を見ればその人の心がわかるとか、目は口ほどに物をいいとか、むかしから言われていますがまさにそのとおりであります。眼は心の現れなのですから。幼児の、あの澄んだ綺麗な眼、それに引き替え、大人のどんより濁った眼、とりわけ悪心に満ちた人の眼は恐ろしささえ感じます。

また、次に和顔施というのがあります。いつも優しい顔、微笑を絶やさぬ顔をした人に接すると、自分まで心が穏やかになります。これも、布施行のひとつで大切なことであります。 しかし、人間は常に感情の起伏があり、いつもこのような状態を保つことができません。

眼や顔は言葉ではありませんが、言葉以上に重要なものであります。眼は心の窓、思いやりの窓と言われています。たとえば、口もとは笑っていても眼が笑っていないのは本当にうれしくないかもしれません。また、反対に表情は済ましていても、眼がおかしそうに笑っていることもあります。感激して胸が熱くなり、言葉が出ないときもあります。その時の眼は何よりも雄弁に、心の中を語ってくれていることでしょう。
眼がものをいうことは素晴らしいことでありますが、私たちは言葉だけに頼らず、こうしたからだ、とりわけ、目や顔に注目し思いやりの心を持ちたいものです。

彼岸会・涅槃会の御礼

三月二十二日、 関市・正渓寺様、各務ヶ原市・清見寺様、東山・宗猷寺様をお迎えして、春の彼岸会、涅槃会をお勤めすることができました。

また、 古川町、西野彰さんに[落語]を聞かせていただきました。お忙しい中、お寺にお運びいただきましてありがとうございました。涅槃会のお供えとして京都、田丸弥の花供曾(はなくそ)というあられをお持ち帰りいただきました。京都、真如堂では涅槃忌に参拝者にお配りし、お釈迦様の御縁としているそうです。

住職合掌

頭陀袋033 目がものをいう。

image_preview.png実際の頭陀袋はこちらです。

≫ Read More

平成27年 2019/02/04takenoko

ブログ運営者

kozou.jpg

檀信徒の皆さんに『一休さん・珍念さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております恩林寺徒弟、鳳雅禅士です。

住職との血縁関係はない在家出身ですが、恩林寺で僧侶となる仏縁を頂戴し、幼き頃からの夢を叶えることができました。

今は京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)にて修行しながら大学に通わせて頂いておりますので、普段は恩林寺におりません。

年末年始やお盆には帰ってきます。その時に皆さんと笑顔で会える様に「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。

感謝・合掌。