頭陀袋011 業(その1)

業とは人間のなす行為、振る舞いのことであります。
ふだん、この言葉はよく使います。たとえば(前世の宿業)とか(自業、自得)(業が深い)などのようです。この業には過去の業と、現在の業があります。過去の業は宿業といわれ身に覚えの無い業、人間の力ではどうにもできない業のことであります。
たとえば飛行機事故に出会うようなことです。つまり自分の力を超えたもの、予測のできない避けることのできない災難などを宿業といいます。
それにたいして現在の業は身・口・ 意の三業によって生ずるものであります。身業とは身体で行うもの行為であり口業とは口で行う行為、つまり口で言うことであります。また意業とは心で行う行為のことであります。 これらの行為が集まって未来の結果を生むのです。

801623.png業には善なるもの、悪なるもの、善悪どちらにも決められないものがあります。善因全果、悪因悪果という言葉があります。つまり善い行いをすれば善い結果を生み、悪い行為をすれば悪い結果を生 ずるということです。しかし現実の問題として必ずしもこのようにならない場合もあるようです。たとえば、あんなに悪いことばかりしているやつがどうして罰があたらないのか?どうしてあんなに幸せそうなんだろう?とか私は別に悪いことをしたわけでもないのにどうしてこんな不幸な目にあうのだろう。と、いったところです。

現実に世の中にはこのような矛盾したことが多いようです。それではこの業というものをどのように解釈したらよいのでしょうか?そのために因縁というものを考えねばなりません。いかなる結果にも必ず原因というものがあります。この原因には直接な原因と間接な原因というものがあります。いくら働いても楽にならないのは社会全体が不景気であったり生まれた家が貧乏で学校に行けなかったり、会社が倒産寸前だったり子供が多かったり親、兄弟の面倒を見なければならなかったり、直接本人の責任でないように見えるさまざまな原因があるからなのです。

つまり、業というものは自分自身の行為であっても消して他人の行為やその他の世の中の現象とは無関係ということはありえないということです。

住職合掌

頭陀袋011 業(その1)

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平成25年 2019/02/02takenoko

頭陀袋012 業(その二)強情。強盛

あの人はゴウジョウだ。 ゴウジョウッパリだ。という表現があります。 自分を正当化して、他を受け入れない人を評していう言葉ですね。 ゴウジョウとは「強情」とか「強盛」に聞こえます。
強情とはかたくなに意地をはること「強盛」は欲の心が強くさかんなことですね。

801357.png三毒強盛とは、貧(怒り)、眼(むさぼり)、痴(愚痴)、三毒がさかんで欲張りの塊になっていることです。 強情、強盛のどちらのゴウジョウも、 そんな風になることはよい事ではありません。
強情(強盛)な人は相手に 不快な思いをさせるばかりで無く自分も孤独になって寂しい思いをいたします。
「何かのことで人と言い争いをした。 相手を言い負かしたものの、あとでとても寂しい思いをした。その後、その 人とは口もきかなくなり、友達を失った、、、、、。そんな経験をお持ちの方はあんがいおおいのではないでしょうか? 私たちはみんな自分が正しいと思いこんでおります。その反動で、相手が悪いと決め付けてしまい自分をえこひいきするように出来ています。 (これも業というものでしょうか?) そうしなければ自信ももてずやる気も沸かず、自分を情けなく思うだけだからでしょう。 自分が正しいと思うことは生きることの原動力になっています。 しかし強情の域に踏み込むことは避けましょう。
過ぎたるは及ばざるが如し。です。 山の動物たち、鳥たち、海や川の魚たちは群れをなして生きています。 弱い生き物が群れから離れると敵に狙われやすく食べ物にありつくことも出来ないでしょう。 人間も同じことです。 群れることは人間で言えば社会を構成して生きることです。 強情な人は家族、友人をはじめとするもろもろの社会から締め出しされることになりかねません。 自分を主張するあまり、自分を守ってくれている社会からはぐれることのないよう、心して生きたいものです。

座禅をしましょう。

恩林寺では、禅寺として座禅が出来るよう、 単(座禅の席)を準備いたしました。 坐禅会の日取りなど決まりましたら 改めてご案内いたします。

住職合掌

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平成25年 2019/02/02takenoko

ブログ運営者

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檀信徒の皆さんに『一休さん・珍念さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております恩林寺徒弟、鳳雅禅士です。

住職との血縁関係はない在家出身ですが、恩林寺で僧侶となる仏縁を頂戴し、幼き頃からの夢を叶えることができました。

今は京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)にて修行しながら大学に通わせて頂いておりますので、普段は恩林寺におりません。

年末年始やお盆には帰ってきます。その時に皆さんと笑顔で会える様に「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。

感謝・合掌。