恩林寺

頭陀袋001 皆様私、恩林住職 古田正彦と申します。

801870.png永年和尚さんをしていてもなかなかお説法というものは巧くならないものでございます。 少しでも勉強してひとさまのお役に立ちたいと思いながら、大した活動もせずにおりましたところ、このほどちょっとしたお説法の参考書が手に入りまして、これならみさなまにおすそ分けできるのではないかと考えシリーズとしてプリントし、毎日の生活の参考にしていただく事が出来ないかと思うようになりました。

今回はじめての試みです。 今後ともご愛読いただきたく御願いいたします。このシリーズを頭陀袋となずけました。和尚さんが首にぶら下げている、黒い袋、お経の本、仏具、それにお布施、なんでも入る袋から、なにがこぼれ出ますやら、、、

>隠元禅師と寒天

隠元禅師というと隠元豆が頭に浮かぶ方が多いでしょう。隠元豆は隠元禅師にちなんで つけられた名前です。隠元禅師は中国、明の時代末期の禅僧で、日本の長崎、興福寺の逸 然の誘いに応じて承応三年(1654)に来朝なさいました.四代将軍、徳川家綱公は宇治に萬福寺を建て開山として迎えています。

隠元禅師は単なる高僧ではありません。弟子二十人とともに来朝して黄檗禅を伝えました。他にも沢山の中国文化を日本に紹介なさっています。先ず食文化として(普茶料理)が挙 げられるでしょう。隠元豆は普茶料理の食材としてもたらされた豆ですし,西瓜,蓮根も それまで日本では使わなかった食材です。今ではおなじみになっている孟宗竹やお経に使 われる木魚も禅師によって日本に伝えられました。また寒天についてはこんな話が残っています。伏見の旅館「美濃屋」の主人、美濃太郎左衛門はある冬の日、野外に捨てたトコロテンが乾物になっているのに気が付きました。興味を持った太郎左衛門はこれを隠元禅師に見せたところ精進料理の食材に奨励なさるとともに「寒天」と命名されたそうです。 寒天の発見者は美濃太郎左衛門鑑定命名者は隠元禅師というところでしょうか。其の後、 大坂の宮田半兵衛により製法改良され信州の小林桑左衛門によって寒冷地、諏訪の特産に なりました。現在寒天は粉末寒天、糸寒天、棒寒天があり、ダイエット食品の代表となっていますね。ゼラチンのゼリーとは別の性質を持つゼリーとして重宝がられ料理ばかりで なく和菓子の分野でも大変役に立っています。さらには寒天培地として細菌の培養に使わ れることが多いのではないでしょうか。わたくしの姪っ子が恵那の方に嫁いでおりますが 時たま「寒天」をお土産にいただいております。ダイエットの効果はどうでしょうか?

木庵禅師開山

恩林寺は隠元禅師の弟子で、黄檗山第二代、木庵禅師の開山です。

昔、滋賀県八日市羽田にあり、華岳山のふもとのお寺でした。今でも華岳山、恩林寺を名乗っております。

住職合掌

頭陀袋001 皆様私、恩林住職 古田正彦と申します。

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平成24年 2019/02/01takenoko

頭陀袋015 道場

道場といえば、まず思い浮かぶのは剣道、柔道の道場でありそれから、そろばん道場など、習い事の道場でしょう。座禅道場などというと「座禅をするところも道場なのか?」などと質問する人もいます。

315946.png実は座禅道場こそが道場の総本家なのです。お釈迦様は二蓮禅河のほとり、菩提樹の下で座禅をされ、成道されましたがこの金剛坐をインドの言葉でボデイマンダといいま す。これを訳すと菩提道場となり、佛成道の場、という意味になります。

しかし歴史が下がりますと一般には座禅をするところを広い意味で道場というようになり後は座禅に限らず、説法や他の修行をするところも道場に含まれるようになりました。ところで、修行をするところが道場なら、学問をしたり武道を修行するところもそう呼んでもいいでしょう。そこで武道の修行や勉学に勤しむ場所を道場と呼ばれるようになった。というわけです。

何を修行するにも道場をきちんと 整えることが大切です。しかるべき道場で修業を積めばそれだけのことはあろう、というものです。しかしその反面、お釈迦様の道場が特別にもとめられたものではなかったように、道場をただ形式的なものとして求めるべきではないともいえましょう

禅語に「歩歩是道場」とか「直心是道場」という言葉があります。

私たちの動きまわるところがそのまま道場であり、よく整えられた自分の心の中にこそ道場がある。とい うことですね。自分がだめなのはよい道場が見つからなかったせいだ。 などという人がありますがそんなことは決してありません。是を学校にたとえれば、よい学校に入れてもだめなものはだめ。それほどでない学校でも、もしくは学校に行かなくても自分の心がけ次第でいくらでも修行ができるということです。

座禅をしよう

恩林寺では先日、座禅体験。ということで座禅会をいたしました。

皆さん真剣に座っていただき、ぜひ、また座禅会をやろう。というリクエストが出ております。出かけてみたい方、声をかけてください。

住職合掌

頭陀袋015 道場

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平成25年 2019/02/02takenoko
タグ:恩林寺 , 坐禅

頭陀袋021 施食のはじめ (施食、慈悲)

ある僧が閑静な樹の下で一心に座禅して修行をしていた。すると樹のうえに猿が棲んでいて、僧が食事をしていたとき、食べ物がほしくなって樹から下りてきて僧のそばにやっきた。

237020.png僧が猿に残飯を与えると、かれは鉢の底まで舐めて、食べ終わると感心なことに水辺まで行き鉢をよく洗い、僧に返すのだった。

こうして何ヶ月か経ったある日、坊さんはうっかり食事を食べ残さずに鉢を空にしてしまった。猿は、当然施されると思った食べ物が 無いので大変怒り、僧の袈裟を奪ってズタズ タに裂いてしまった。此れにはさすがの坊さ んもカッとなり、杖で猿を打つと、当たり所が悪くて悶絶し、死んでしまった。するとそ ばにいた数匹の猿が寄ってきてかなしみ、死んだ猿を担いでお寺に運んで行った。

寺の住職は「此れは仔細なわけがあるのだろう。」と思い、寺内の僧を集めて、誰かそのわけを知らないか?と、たずねたところ、誤って殺してしまった僧が、前に出て、正直に話した。そこで、これから僧が食事をするときはその 一部を取りおいて動物や虫に施すようにした。

施食の慣わしはこうしたことから始まったといわれています。

お経にこのような言葉もあります。その飯、もし食せんと欲するとき、まず鉢中の飯を出して分かちて五分となせ。一分を路行に準擬す。飢人来たれば即ち是なり。一分を水中の衆生に施し、一分を陸地の衆生に施し一分を七世の父母および餓鬼の衆生に施せ。残りの五分を、足ると足らざるを問わず自らの食とせよ…と。

黄檗山のさば台

わが黄檗山万福寺の境内にさば台という石の台があります。是は修行僧たちの毎日の食事から、鳥や虫にも食事を施し、みんなが今日 一日、与えられた命を大切にしましょう。という隠元禅師の思いやりを今に伝えております。また、隠元禅師は若いころ、中国各地を 修行して歩かれたのですが、とらわれた鳥や獣を買い取って逃がしてやった。といわれて 居ります。万福寺の山門前には、放生池という池があり、人間に捉えられた魚を逃がしてやる目的で、放生会という仏事も伝統的行われております。

お寺からの一言

三月十六日 (日)涅槃会(ねはんえ)永代祠堂回向会を勤めさせていただきました。

涅槃会は申すまでもなく釈尊のおなくなりに なった(旧暦二月十五日)が新暦の彼岸のころになるので彼岸会とあわせてご供養することが多いようです。当日は、ご家族ずれの方、 お年寄りの方々はじめ沢山お参りいただきました。

岐阜からお越しいただいた和尚さんがたも高山に来るのが楽しみ、といっていただいております。こうしてお寺に出向いていただけること自体、ありがたいことであります。 つぎの行事の予定は六月末日、県内の黄檗宗の和尚さんたちにご協力いただき、お施餓鬼の法会を計画しております。 頭陀袋、第二十二号はお施餓鬼について少し 解説させていただきたいとかんがえております。

住職合掌

頭陀袋021 施食のはじめ (施食、慈悲)

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平成26年 2019/02/03takenoko

頭陀袋022 お施餓鬼の由来について

目連尊者(お釈迦様の弟子)はあるとき、自分の母は亡きあと、どうなっているかを神通力をもって探したところ、餓鬼道に落ちて、肉は痩せ衰え、骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。

237025.png木蓮尊者は神通力をもって母を供養したいと思ったがどうしても自分の力ではどうすることもできなかった。

木蓮尊者 はお釈迦様に、どうにかして母を救うことができないでしょうか?とたずねると「お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手に振舞ったので、餓鬼道に落ちたのだよ。」夏安居(げあんご)、即ち雨季の修行の期間が済んだあと、ご馳走を用意し、修行の坊さんにお願いして供養しなさい。」と、言われた。木蓮尊者はその通りにすると目連の母は餓鬼の苦しみから救われた。といわれています。

もう一説には お釈迦様のお弟子である阿難尊者は静かな場所で座禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き髪は乱れ、目は鋭く奥で光る、醜い餓鬼であった。
餓鬼は「阿難よ、お前は三日後に死んで私のような醜い餓鬼にうまれ変わるだろう。」といった。
阿難は「どうしたら私はその苦難からのがれることができるのか?」と聴くと、
餓鬼は「其れはわれら餓鬼道に落ちて苦しんでいる衆生に飲食を施し、佛法僧の三宝を供養すれば汝の命は延び、我等もまた苦難を脱することができるであろう。」と言った。

しかしそのような金銭のない阿難は釈尊に助けを求めた。 釈尊は、「観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供えこの加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は十分に空腹を満たされ無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、 その功徳により仏道を証得することができる。」といわれた。
阿難は早速その通りにすると、阿難の命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源といわれております。

221298.pngこの二つの話が混同され、おおくの寺院では、 盂蘭盆の時期にお施餓鬼が行われるようになった。と、言われております。 日本におけるお盆の場合、各家の祖霊は年に一度、家の仏壇に帰ってくるものとしてお盆の期間中、毎日、供物を供える。それと同時に、無縁仏となり、俗世をさまよう霊 (水子・あるいは供養されなくなっている一切の精霊)戦没者、地震被災者、交通事故死者、三界萬霊を供養するということであります。また、近年では、餓鬼という言葉が差別に当 たるのではないかという説もあり、こうした法要を水陸会(すいりくえ)と、言うことも あります。この法会は何時行うというものではなく、仏様のご供養というものには決まっ た日にちを指定するものではありません。

高山では本町会、東山連合寺院主催で、毎年 八月十九日頃、お盆の精霊送り、川せがき という法会を柳ばしで行っております。

恩林寺では県内のお寺さんの日程もありますので、六月二十九日(日曜日)を計画いたしております。ご参詣のご縁をいただきたく追ってご案内もうしあげます。

住職合掌

頭陀袋022 お施餓鬼の由来について

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平成26年 2019/02/03takenoko

頭陀袋025 数珠の功徳 (信仰・数珠)

お釈迦様が霊鷲山で説法されていとき、ナンダ国(古代インドの小国)のハルリ王が使者を遣わし、世尊に「我が国は辺境で、国も小さく、常に兵乱が起こって食物も高く、疾病が流行して人民が困っております。王として心の休まる日は一日とてありません。願わくはお慈悲を持って仏法の肝要をお示しください。」と、哀願した。お釈迦様は「もし、煩悩や諸苦を滅したいと思うなら百八の木穂子(モッカンシ)をつなぎ、行住坐臥、常に身に着けて、心の散乱を止め、仏法僧の三宝の名を念じ数珠を爪繰りなさい。そして百辺、千辺、百万辺せよ。もし、一万辺になれば百八煩悩は断つことができよう。もし、二十万辺を満たせば夜摩天宮に生じ、衣食、は自然に備わり、安楽を得ることができるであろう。」とのお示しであった。王は大いに喜び、さっそく数珠、一千連をつくらせ、六親眷属に与えて、作善に努めた。王は常に称念して軍陣に出ても数珠を離さなかったという。
解説 (百八、というのは、除夜の鐘のように、人間の煩悩を表す数のことを言います) 経典による、数珠の起源とされている木穂子は俗にムクロジという黒い木の実で堅く、金剛子ともいわれております。百八の半分五十四、二十二、の数珠玉を仕立ててある場合もあります。

お寺からのご報告

先の頭陀袋でもお知らせいたしました恩林寺の施餓鬼法要は六月二十九日、檀信徒様をお迎えしてお勤めさせていただきました。県内 の黄檗寺院の和尚さんのご協力を得て近年になく盛大に行うことができました。こうしたお施餓鬼はじつに八十年ぶりかと思われます。 また、翌週、土曜日には檀家さんの成瀬克子さん夫婦が主体となり、インドの弦楽器、サントールの奏者、ジミー宮下氏を招きライブ を行いました。当日は、富山、岐阜、などよりライブを聞きに来てくださった方もあり、大変盛況でした。お寺といたしましてもこうした機会に皆さんに利用していただき、少しでも御縁につなげ ていただけたらと思っております。また、七月第四日曜日は、明晶会様主催、暁天座禅会 が予定されております。

住職合掌

頭陀袋025 数珠の功徳 (信仰・数珠)

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平成26年 2019/02/03takenoko

頭陀袋028 信心の綱 (譬喩経より)

830406.pngある国王が、大工の棟梁に命じて、とて も高く立派な石柱を建てさせた。それはあまりにも見事な石柱だったので王は、棟梁が他の国に出かけて行って同じようなものを建てられると困ると思い、棟梁が石柱頂上にのもぼっている間に、足場を全部取り払わせてしまった。すると棟梁は夜になって自分の着ていた服をすべて細かく引き裂いて下にやっと届くほどの縄にして下に垂らした。下には、棟梁の身を案じた親族が集まっていて垂らされた布の縄に太い綱を結びつけてやると、 棟梁はそれを吊り上げ、石柱に縛り付けて、綱を握ってスルスルと地上に降りることができた。

さてこれは何のたとえ話であろうか。高い石柱はひとが生き死にして迷いを重ねるこの世である。足場が取り払われたのは過去の諸仏がすでに滅を唱えて現世におられないことを意味する。しかし、後の信徒である棟梁が衣服を裂いて仏の残された法の縄とし、下に垂らすと仏法を後の世に伝つけて、塔に繋ぐえる僧が親族として集まり、 信心の綱をようにさせ、これによって生き死にの迷いを完全に離れるようにした。という、たとえ話である。

袈裟の功徳 (地蔵十輪経より)

237081.png昔、ある国に死罪を宣告された男がいた。 この国では罪人を悪鬼の住むところに連れて行きその体を食わせるという習わしであった。 罪人はそれを聞いていたので、 何とか助かろうと思い髪をおろし袈裟を求めて、その切れ端を得ることができ、それを首にかけた。

罪人は悪鬼の住む場所に連れて行かれ夜になった。すると鬼たちは男を食べようとゾロゾロと出てきた。彼はその様子を見て震え上がった。しかし、その時、鬼の母はこの男が坊さんのように髪をおろし赤い袈裟の切れ端を首にかけているのを見て彼の周りを右回りに合掌しながら歩くのだった。鬼の子供は腹が減っていたので「早くこの人間を食べたいよう」と母に言うと「この方は仏様の袈裟を身に着けているので食べてはいけません。食べると再び無間地獄に落ちますよ。」といって止めた。

そしてすべての鬼たちを説得して食べさせないようにしたので命拾いをした。そして、夜はしらじら明けて きた。役人たちは彼が鬼に食われなかったのをみて大変驚き、王にこのことを告げた。すると、王はこれより仏の弟子や授戒したものは鬼でも食べないのだから、これより後、死罪をやめることにした。この話から人がなくなると摺り袈裟を首のかける信仰が生まれたといわれている。

お寺に行こう。和尚さんと、ともだちになろう。

201251.pngお寺に行こう。和尚さんと、ともだちになろう。を、キャッチフレーズに今年は、いろいろな行事を計画しました。

先日は 門前の有志のご発案で お寺でカ今ラオケ大会を催しましたところたくさんの賛同をいただきありがとうございました。

また来年もぜひ、との声がかかっております。

 

住職合掌

頭陀袋028 信心の綱 (譬喩経より)

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平成26年 2019/02/03takenoko

頭陀袋029 薬王山大寧寺住職、五島海南和尚を訪ねて

平成二十六年十月十八日、関市迫間、正渓寺を訪問した帰りに、美濃太田の大寧寺に住職、海南和尚を訪ねた。庫裏には人の気配はないが書斎の窓は開けたままで日当たりのいい場所にはむしろにたくさんの銀杏が干してある。隣接する水屋のほうに回ってみると和尚が六十代と思われる女性と銀杏の果肉をとるために洗濯機を回しながら作業中であった。

(以下、恩:恩林寺住職 大:大寧寺住職)

恩:和尚さん。こんにちは。高山の恩林寺です。だいぶ耳が遠いらしく大きな声で声をかけると、
大:おやまあ。久しぶりやねえ。よう来てくれやした。さあさあ、ちょっとやすんでいかんかね。

恩:今日は正渓寺さんまで来たもんで、ちょっとおっ様の顔が見たくなって、寄らせてもらいました。
大:ほうかね。こんなとこで、黄檗のボンさんに会えるなんて、ありがたいことですな。わしも、もう、ええとしやで、だーれもあいてにせん。

恩:和尚さんはうちのおやじと同参とか聞いてましたが、何年生まれですか?
大:うん、儂は、あと三日で、満、九十八やで。もう、耳は聞こえんし、新聞も読めんようになった。お宅さん今日は運がえかった。今度はもう会えんかもしれん。毎日がこれで終わりじゃとおもっとるんやで。ちょっとまってよ。娘がお茶持ってくるんで。今日は二番目の娘が手伝ってくれるんで、銀 杏を洗っていたとこや。

恩:しかし和尚さんお元気で何よりですな。いまもおひとりで暮して見えるのですか?
大:うん。わしの両親は本願寺の門徒さんで、そりゃもう厳しい人やった。毎朝、お仏飯を備えて、お経を読まされる。子供のうちに、阿弥陀経や正信偈はそらでおぼえてしまった。それから本願寺の寺の小僧に出て、十年暮したね。旧制中学出たらすぐにおやじは、お前は大寧寺へ行け。というので、大寧寺の小僧にしてもらって、それから黄檗山の禅堂に入った。当時は厳しい修行が待っておって、苦労したねえ。

恩:和尚さんは品ヶ瀬全提さんと同参とか?
大:エッエッ?どうして全提さんしっとるの?

恩:儂のおやじと同年代ということもありますが、全提さんの弟子という尼さんと、講習会で一緒になりまして。
大:ほうかね。全提さんには親切にしてもらって、よう、面倒みてもらったね。その尼さんというのがこの寺へ訪ねてきてくれたことがありましてな。あの尼さん、途中から全提さんの弟子になって、ついに全提さんのお寺をついでくれたとか聞いたが、人間わからんもんやね。わしもこのあばら寺に八十年住職やって、檀家もないが草むしりばかりしているうちに同参も、知り合いもみんな死んでしまって、最後に残ってしまったもんやから、だーりもたずねてこーへん。しかしな、こうなるのも、偶然でなーて、自分の運命というか宿命なんてものは初めから決まっておったんや。知らんのは自分だけ。あ、ちょっと失礼、しっこがしたーなった。

すぐ目の前の柿の木めがけて ちょろちょろ…。

恩:和尚さん、しかし広い畑を管理してたいへんですね。
大:ほうや。この畑は全部昔は寺の境内やったが、くさむしりばかりするのがたいへんやで、どうせなら畑の草むしっとったほうがええで、根気にやっとるんや。この頃は あんまりほとけさんのおもりも充分でけようになって、ほうや、今年はどうにか皆さんに助けてもらって施餓鬼を、わしが導師で務めたが宝蔵寺さんとこは無住やで、やめてしまったそうや。法蔵寺はわしの遠縁やが、早う逝ってしまったしなあ。もう二十年になるかしらん。しかし、この年になるとお経も忘れてしまって、よう、出てこんでいかんわ。昔は習字の先生もしてみたけど、もう筆も持たん。字も書かん。 あ、恩林寺さん、銀杏好きなだけ持っていきゃー。この頃、銀杏の木がでこうなって、 身が小粒になってしまって、値打ちのうなっていかんわなあ。

(五島海南和尚は大正五年辰年生まれ、黄檗宗第十八教区の長老。恩林寺十二代正念和尚とともに黄檗山、関義道老師について修行、現在、数えの百歳、大寧寺の現役住職。父、正念和尚の葬儀、兄、弘文和尚の葬儀の導師を務めていただいた。以前は岐阜大学に勤務、伊深、正眼短期大学に聴講して、漢詩を得意とする。美濃太田 大寧寺に独居)

黄檗山の鐘楼、鼓楼

237028.png黄檗山では朝、五時に開静(かいじょう) 夜九時に開枕(かいちん)と言って大鐘と太鼓をもって時刻と消灯、大衆に起居、動作の始終を知らせます。また、賓客来山の時は鐘鼓交鳴して歓迎を表します。
人間は二つの耳を持つといわれています。一つは日常生活において使っている感性の耳であります。いろいろの物音を聞いてそれを知ったり、おたがいに話し合って意志の疎通をしたりしている耳であります。
二つは梵唄(ぼんぱい)、音楽等を聞く霊性の耳であります。これは同じ耳で聞くのですが、おごそかで美しい音によって、日常のそれと違った幽玄の雰囲気に入らしめてくれる耳であります。音楽は誰が聞いても美しい音であるはずですが必ずしも誰でも心に感ずるとは限りません。これにはやはり音楽に理解を持つ、持たぬということがあります。

何かの機会にこれを理解するようになると、そのひとが知らなかった一つの世界が開かれます。この私のどこか深いところに一つの霊的自己とでもいうものが潜んでいて、それが微妙な響きの中に、ふとその首をもたげ私の目をさましてくれます。 たとえば鐘の音は一つですがさまざまな思いをその人にあたえてくれます。過去の集合表象や心の底に結びついている無常感などが宗教の風光をひそかに伝えてくれます。
黄檗宗では読経の初めに香讃(こうさん、) 終わりには結讃(けっさん)、と言って唐音で節経 (メロディーのあるお経)を唱えます。
微妙の響きは、ある時は無常、無我、静寂 を運び、聞くものを無量ならしめます。

住職合掌

頭陀袋029 薬王山大寧寺住職、五島海南和尚を訪ねて

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平成26年 2019/02/03takenoko

頭陀袋033 目がものをいう。

話をする、ということは難しいことです。

井戸端会議や雑談を得意とする人でも改まって人前での話となるとなかなか難しいようです。世の中、どちらかといえば能弁な人より、口下手なひとのほうがおおいのではないでしょうか?中には人前ではほとんど口のきけない内気な人もおられます。そのような人と話をするのには言葉より、むしろ体全体を通して、心の窓である目の動きや輝きに、そしてそのうるおいに注目したいものであります。

group_people.png仏教では(布施)を、大切な修行としています。布施行には「無財の七施」があり、その一つに「眼施」というのがあります。これは、人には良い眼をして接するということであります。べらべらしゃべるよりやさしいまなざしで人に接することができたらどんなに素晴らしいことでしょうか。目を見ればその人の心がわかるとか、目は口ほどに物をいいとか、むかしから言われていますがまさにそのとおりであります。眼は心の現れなのですから。幼児の、あの澄んだ綺麗な眼、それに引き替え、大人のどんより濁った眼、とりわけ悪心に満ちた人の眼は恐ろしささえ感じます。

また、次に和顔施というのがあります。いつも優しい顔、微笑を絶やさぬ顔をした人に接すると、自分まで心が穏やかになります。これも、布施行のひとつで大切なことであります。 しかし、人間は常に感情の起伏があり、いつもこのような状態を保つことができません。

眼や顔は言葉ではありませんが、言葉以上に重要なものであります。眼は心の窓、思いやりの窓と言われています。たとえば、口もとは笑っていても眼が笑っていないのは本当にうれしくないかもしれません。また、反対に表情は済ましていても、眼がおかしそうに笑っていることもあります。感激して胸が熱くなり、言葉が出ないときもあります。その時の眼は何よりも雄弁に、心の中を語ってくれていることでしょう。
眼がものをいうことは素晴らしいことでありますが、私たちは言葉だけに頼らず、こうしたからだ、とりわけ、目や顔に注目し思いやりの心を持ちたいものです。

彼岸会・涅槃会の御礼

三月二十二日、 関市・正渓寺様、各務ヶ原市・清見寺様、東山・宗猷寺様をお迎えして、春の彼岸会、涅槃会をお勤めすることができました。

また、 古川町、西野彰さんに[落語]を聞かせていただきました。お忙しい中、お寺にお運びいただきましてありがとうございました。涅槃会のお供えとして京都、田丸弥の花供曾(はなくそ)というあられをお持ち帰りいただきました。京都、真如堂では涅槃忌に参拝者にお配りし、お釈迦様の御縁としているそうです。

住職合掌

頭陀袋033 目がものをいう。

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平成27年 2019/02/04takenoko

頭陀袋037 いい話を聞きました

553062.png先日、いつもお経にお邪魔するおばちゃんから、いい話を聞きました。このおばちゃんをかりにハナさんといたしましょう。

ハナさんは高山の生まれ、高山の育ち、旦那さんは石川県金沢のお生まれです。とても信心深くて話し好きで、近所のかたの人気者です。

しかし最近は足が不自由で、あまり外には出かけません。お経が終わりますといつものようにお茶と、お菓子が出ておしゃべりが始まります。

「和尚さんはいつも元気そうで、けなるいなあ。どうしてそんなに元気でいられるの?」

「そんなことないさあ。この頃はどこか出かけるにも、免許証どこヤッタかな? くるまのかぎは? 財布持ったかな? そうや、今朝は薬飲んだんやったかなあ。なんて、なかなか、出かけるにでかけられんようになってしまってな。それにほっぺたに、でっかいシミができてしまってな。顔は皺(しわ)だらけ、まあ、年はとりとうないもんやな。」

「ギャッはっは。まあ和尚さんでもそんなこと気になるの。ま聞いてくれ。これはこないだ聞いてきたばかりりの話やけどな。和尚さん、極楽にはカリョウ、ビンガとかいう極楽鳥が飛び回っておるそうやが、和尚さんのかおのシミは、極楽鳥がうんちをしたのが、飛び散って、顔にかかっただけやって。和尚さんは坊さんやで極楽鳥の飛び回る、極楽の近くまで来たということや。大丈夫、もうすぐ極楽やで、心配せんでも。それにな、皺のできるのは今まで世の中、いろいろ体験してきたンやで、堂々としとりゃええんや。横皺(よこじわ)はうれしいこと、たのしいこと。縦皺(たてじわ) は怒ったとき、はんちくたいことの証(あ かし)やそうな。私もな、この話を聞くまではいちいち気にしとったけど、まあ、これからは縦皺が寄らんように、頑張らないかんとおもっとるんやよ。」

「そうかな。今 日はいい話を聞かせてもらったなあ。おばちゃんに、お布施つつまないかんな」

「ぎゃはは。そら、はんたいこやもんなあ。」 (高山さんの話、ご理解いただけましたかな?)

恩林寺のお施餓鬼

ose.jpg六月二十八日(日)昨年に続き第二回目のお施餓鬼が勤まりました。 当日は東山・宗猷寺住職和尚、岐阜芥見・真聖寺閑栖和尚。同、住職和尚様はじめ全 部で十名による黄檗式の法要で盛会でした。翌日の中日新聞、高山北部版にこのようなニュースが掲載されましたので、紹介いたします。

 

施す(ほどこす)ということについて

六月二十八日、お寺のお施餓鬼法要の後に岐阜市芥見、・真聖寺住職、村瀬正光禅師による法話がありました。その概略についてまとめました。
戦後七十年といいますが、人の寿命というものはずいぶんと長くなったものです。日本も戦中は、あるいは戦国時代、平均寿命は二十歳というような時代もあったのです。先陣を切らない殿様は、人間五十年などといったのですが。

さて、私の檀家さんで母子家庭で育った娘さんがめでたく結婚され、いよいよ臨月になりました。昔は、お産というのは一大事で、お母さんが命を落とす。子供さんが死産だった、というようなことがありましたが、今はこうしたことはほとんどありません。しかし、病院でお産をするということでしたがいわゆる医療ミスでお母さんのほうがなくなってしまいました。

うまれたお子さんは女の子でした。妊婦さんの旦那さんはもちろんおられるのですが、仏は伯父さんの家に引き取られ、また子供さんもおじさんの家で育てるということになりました。旦那寺である私は七日ごとにお参りに行くのですが、どうも暗い雰囲気で、つらく感じておりました。ところがある日、お宅に伺ってみると、どうもいつもと違うのです。

お経が済みますと、おじさんが「和尚さん、今日はちょっとお話があるのですが。」と、言うのです。「和尚さん、私がもし間違っていれば、どうか指摘してほしいのですが。」と前置きしてこんなことを話してくれました。

「お医者さんのミスとはいえ、こんなかわいい子供を親なしにして、なんということか。と、弁護士に相談してお医者さんを告訴しようと準備はすべて整いました。しかし、なんの罪もない子供は屈託ない顔でニコ ニコしてくれます。私は、今、何をしようとしているのか。そこで私は、裁判で争うなどということは、すべて ないことにしょう。この子のために残りの人生をかけよう。わずかな資産もこの子のために使おう。と、心に決めたのです。」

「話せば長くなりますが無財の七施という言葉があります。誰にでもできる施し、とでも言いましょうか、にこにこ頬笑む、優しい笑顔というのも施しですね。(これを仏教では和顔施といいます。)おじさんは姪っ子さんから施しを受けたということですね。」

今日は恩林寺さんからは法話のテーマをいただいていたのですが、勝手に変更しましてわたしの檀家さんのお話をさせていただきました。

ご清聴ありがとうございました。

住職合掌

頭陀袋037 いい話を聞きました

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平成27年 2019/02/04takenoko

頭陀袋039 ああ、モンテンルパの夜は更けて

毎年、お盆の風物詩のように八月の十九日前後に「高山市内五十ヶ寺のうち約半分の浄土真宗以外のお寺で作る東山連合寺院による川施餓鬼が行われ、宮川べりに流れてゆく灯篭を送りながら、夏の終わりを感じます。

さて、このお盆の精霊おくりが終わりますと東山連合寺院の行事として、各、宗派の当番で当代一流の布教師さんをお招きして、各お寺をお借りして『連合布教』と銘打ってお話を聞いたものです。私の祖母はながいあいだ病床にありましたが、「必ず、ためになる話をされるはずだから、ぜひ聞きに行って来い。」と、私たちを促したものです。私はまだ中学生になったばかりでしたので訳も分からずその話を聞きに行ったのでした。

確か、八軒町の善光寺様が会場で、布教師さんは岩本為雄(いわもといゆう)という真言宗の和尚さんでした。岩本和尚さんは教縛師も務 められたかただそうで、落ち着いた中にもなかなか張りのあるお話をなさる方でこんな話をされたと記憶しております。

723667.png皆さんは渡辺はま子さんという歌手をご存知ですね。渡辺はま子さんは、戦前・戦中・戦後にかけて一世を風靡した方です。渡辺はま子さんは名前の通り横浜の出身で、師範学校の英語の先生をしていたこともあり、また武蔵野音楽学校(今の武蔵野音大)を卒業されており、戦前、忘れちゃいやよ。を歌い大ヒット、支那の夜、蘇州夜曲などの曲にも恵まれ、皇軍慰問芸術団に加わって中国各地を慰問されました。

あるとき、はま子さんの横浜の自宅に一通の手紙が届きました。これはフイリピンのモンテンルパにあるビリビット戦犯収容所の日本人囚人からで、 収容されている人たちは大戦中、多くのフイリッピン人が日本人から受けた多大な被害に対し、日本人は許しがたいというのでその半数近くが有罪となり、収容所に繋がれたままの状態だったのです。

昭和二十七年フイリッピンマニラ郊外のモンテンルパ刑務所の囚人、B級戦犯、死刑囚、代田元大尉:作詞、同じくB級戦犯死刑囚、伊藤元大尉:作曲、ああモンテンルパの夜は更けてでありました。はま子は、「自分も戦争に加担した人間である。」との責任感から香港経由で、フイリッピンに入国し、モンテンルパを訪問したのでした。この刑務所で作詞、作曲された『ああモンテンルパの夜は更けて』を歌いますと、皆が泣きながら聞いてくれました。

立ち合ったデユラン議員は私が責任を持つから(君が代)を歌ってもよい。と、許可してくれました。こうしたいきさつがあって、戦後十年近くが過ぎてキリノ大統領は、国の感謝の日に特赦をだし、収監された囚人すべてが釈放れたのでした。岩本和尚さんはまるで自分がその場所に立ち会ったように感きわまって、ああ、モンテンルパの夜は更けてを歌われますと、お説教をきいたひとたちがほとんど涙を流しながら聞き入っていました。 ああ、モンテンルパの夜は更けてつのる思いにやるせない遠い故郷をしのびつつ涙にくれるつきかげのやさしい母を夢に見る。

今にして思えば、あのすばらしいお説教は、、それぞれの戦争を体験した人たちに語りかけ、我が日本人の間違いを、現実の問題として語りかけていたのだと思いだされます。

戦後七十年、ふと、思いだしたお説教の一節を披露いたしました。

住職合掌

頭陀袋039 ああ、モンテンルパの夜は更けて

image_preview.png実際の頭陀袋はこちらです。

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平成27年 2019/02/04takenoko

ブログ運営者

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檀信徒の皆さんに『一休さん・珍念さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております恩林寺徒弟、鳳雅禅士です。

住職との血縁関係はない在家出身ですが、恩林寺で僧侶となる仏縁を頂戴し、幼き頃からの夢を叶えることができました。

今は京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)にて修行しながら大学に通わせて頂いておりますので、普段は恩林寺におりません。

年末年始やお盆には帰ってきます。その時に皆さんと笑顔で会える様に「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。

感謝・合掌。