坐禅

頭陀袋015 道場

道場といえば、まず思い浮かぶのは剣道、柔道の道場でありそれから、そろばん道場など、習い事の道場でしょう。座禅道場などというと「座禅をするところも道場なのか?」などと質問する人もいます。

315946.png実は座禅道場こそが道場の総本家なのです。お釈迦様は二蓮禅河のほとり、菩提樹の下で座禅をされ、成道されましたがこの金剛坐をインドの言葉でボデイマンダといいま す。これを訳すと菩提道場となり、佛成道の場、という意味になります。

しかし歴史が下がりますと一般には座禅をするところを広い意味で道場というようになり後は座禅に限らず、説法や他の修行をするところも道場に含まれるようになりました。ところで、修行をするところが道場なら、学問をしたり武道を修行するところもそう呼んでもいいでしょう。そこで武道の修行や勉学に勤しむ場所を道場と呼ばれるようになった。というわけです。

何を修行するにも道場をきちんと 整えることが大切です。しかるべき道場で修業を積めばそれだけのことはあろう、というものです。しかしその反面、お釈迦様の道場が特別にもとめられたものではなかったように、道場をただ形式的なものとして求めるべきではないともいえましょう

禅語に「歩歩是道場」とか「直心是道場」という言葉があります。

私たちの動きまわるところがそのまま道場であり、よく整えられた自分の心の中にこそ道場がある。とい うことですね。自分がだめなのはよい道場が見つからなかったせいだ。 などという人がありますがそんなことは決してありません。是を学校にたとえれば、よい学校に入れてもだめなものはだめ。それほどでない学校でも、もしくは学校に行かなくても自分の心がけ次第でいくらでも修行ができるということです。

座禅をしよう

恩林寺では先日、座禅体験。ということで座禅会をいたしました。

皆さん真剣に座っていただき、ぜひ、また座禅会をやろう。というリクエストが出ております。出かけてみたい方、声をかけてください。

住職合掌

頭陀袋015 道場

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平成25年 2019/02/02takenoko
タグ:恩林寺 , 坐禅

頭陀袋040 座禅の入門

315945.png今月は座禅についての解説をいたします。恩林寺の早朝座禅会の資料よりご案内をいたします。

みなさんはようございます。今朝は早朝座禅会ということで皆さんにお集まりいただきました。ご存知のようにこのお寺は禅宗の中の黄檗宗に属し、曹洞宗、臨済宗と同様、座禅による修行を第一とする宗派であります。 『唯心の浄土、己身の弥陀』といいますね。 座禅によって、身心を整えることが大切です。

大本山萬福寺では、毎日の日課として、まず午前四時半に起床の合図である版木がなります。謹白大衆、生死事大、無常迅速、各宜星覚、謹勿放逸。 あの広い境内に、各所に版がつるしてありこれを鳴らしながら一巡します、(典座司、テンゾースー。 阿弥陀、オミトー)と返事があります。

この合図があると、15分以内に洗面、着替え、出頭、といって回廊に集まり、本堂に整列します。

此処から鳴り物入りの朝のお勤めがあります。黄檗のお経は節回しがたいへん難しく、梵唄(ぼんぱい)といわれております。

朝課は三十分かかりますが、恩林寺ではこのあと、歴代の和尚さんのお経、檀信徒様の先祖回向、難病で苦しんでおられる方の病気回復祈祷、最後に檀信徒さま、ご縁のある皆様の今日一日の健康祈願、交通安全、諸縁吉祥を念じてあさのお勤めとしております。 これが終わりますとおよそ一時間がかかります。

黄檗山の話にもどりますが朝課が終わりますと,禅堂という座禅をするお堂に異動しまして、ご本尊の観音菩薩に般若心経をお読みしまして、各自の単(自分の席)に着きます。すると大きなヤカ ンを持つた和尚さんが現れて、各自の湯のみに梅湯を注ぎます。これで心と体を引き締めて座禅に入ります。

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座禅は下あごを引いて,結跏咲坐、あるいは半跏咲坐、あるいは正座します。
頭のてっぺんからお賽銭10円を落とすとしりからぽとんと、おちるような姿勢です。前後、左右ゆっくり体を動かして、体制を整えます。

舌べろを上あご、歯の付け根に固定します。 座禅の時間は一柱といって線香一本が燃え尽きるまでの時間を言います。座禅の時間は、ときに二柱、三柱のこともありますがほとんどは一柱です。時間は約四十分。途中、痺れを治したり、姿勢を直したりすることが許されますが、他人の迷惑にならないようにします。座禅は数息感といって、吐く息をゆっくり一から十まで数えます、また一までもどって十までゆっくり数えます。なぜ吐く息かといいますと、吸う息は呼吸を引き取る。つまり死んでしまいますね。
人間は生まれるときは満潮のとき生まれ、死ぬときは干潮のときに死んでいきます。われわれ好むと好まざるとに関わらず自然の摂理というものはそうしたものなのですね。

黄檗山では、座禅の時間に入りますと、裏山で、カラスがさかんに鳴きます。少し慣れてくると、どういうわけか、この泣き声がぜんぜん気にならなくなります。恩林寺ではどんな音がきこえますかね?

では座禅の姿勢、座禅中の鳴り物についての解説は経本の一番最後のところを見てください。 座禅前の般若心経はそのうち経本なしでも唱えられるよう、練習が必要です。では、私たちも、座禅に挑戦して見ましょう。

さて、座禅はまずその態を重要視します。曹洞禅では只管打座と言って、ただただすわることを第一とします。臨済禅では、公案と言って座っている間中、考える、たとえば、片手の音を聞いたこ とがあるか? 片手の音とは? 考えながら座禅をします。私たち入門の段階では先ほど申しましたように、まず姿勢を整え、一から十までをゆっくり数えるところからはいればそれでよいと思います。それでは、萬福寺の講習本から座禅に入る手順を紹介いたします。

住職合掌

頭陀袋040 座禅の入門

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平成27年 2019/02/04takenoko

頭陀袋055 石の上にも三年

石の上にも三年

この言葉は日常生活の中でよく用いられる言葉です。
冷たい石の上でも三年も座れば温まるということから、たとえつらい事でも我慢強く頑張れば やがては報われる。という意味に使われます。(最近の子どもは我慢が足りない)とはよく言われることです。確かに子供に限らずわたしたちも我慢が足りないと思うことが多い毎日です。

日本の国は豊かになり、ほしいものは何でも手に入る。本当に良い時代になっております。昔のように、国全体が貧しく、ほしいものも手に入らない時代から大きく様変わりしました。大きな買い物でも分割払いで出来るようになり私たちの生活はますます便利なものになってきております。

しかしその一方でローン地獄とかカード地獄というような悲劇を生んでいるのも事実です。また、ほしいもの が簡単に手に入るから、容易に手に入るものが遅れたりするとイライラして他人に八つ当たりしたり自分でイジイジ悩んだりします。

社会全体が我慢が足りなくなっている、というのが日本の今日の状態ではないでしょうか。もともと「我慢」と いうのは仏教用語なのですがあまり良い意味には使われてきませんでした。釈尊のおられた当時、「我」があってこれを支配するのは自分であるという考えがありました。釈尊は、俺、己れ、と自己中心になるのを戒められました。佛教ではこのおごり高ぶる心を七漫途いい、その一つに我慢がある。それがガンバルとか、辛抱するというような前向きな言葉として用いられるようになりました。

世の中ほしいものすべて手には入りません。すべてが自分の思い通りにもなりません。我慢とは耐え忍ぶということです。大乗仏教の修行法には六波羅蜜というのがあってその一つに忍辱波羅蜜があります。

忍辱とは完全な忍耐のことで他人からそしられたり馬鹿にされてもこれに反撃することなく常に相手に対し愛情をもって接することを言います。

悟りを得るためには怒りを抑え、耐え忍ばねばなりません。釈尊の弟子にアングリマールヤという方がおられました。この人は入門前は殺人鬼として畏れられていました。彼は入門間もないころ、托鉢に出かけますと、人々は彼に向かって、つばを吐きかけたり石や瓦を投げつけました。お布施などまるでなくいつもからの鉢のまま、血みどろになって精舎に帰ってきました。釈尊は「アングリマールヤよ。耐え忍ぶのだ。逃げてはならない。」と申されました。彼は釈尊の言葉に元気ずけられ迫害を受けながらも町を歩き修行を続けました。釈尊はどんな悪事を働いたものでも懺悔して仏弟子となれば必ず悟りが得られると考えておられたのです。アングリマールヤは釈尊の期待によく応えたのでした。世の中の真実は「一切は苦である]ということが解ります。この「四苦八苦」思い通りにならない苦しみを明快にあらわしています。

求めても得ることのない苦しみ、車がほしい、家がほしい、お金がほしい…あるいは目に見えないもの、もっとやせたい、愛情がほしい…さきほどのアングリマールヤも、もともとは熱心なバラモンの信者でした。ふとしたことから殺人鬼となり、百人の人を殺すことを目的とするようになったのでした。結局、自分本位になっていたのです。

日頃私たちは足るを知る、満足することを知ることをこころがけねばなりません。これからの私たちは正しい信仰に基ずいて一つの目的達成のために志を忘れず耐え忍んでいくことがたいせつではないでしょうか。

住職合掌

頭陀袋055 石の上にも三年

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平成29年 2019/02/10takenoko

4.天神に教えられる

しかし仏教の学問だけでは、まだどうも物足らぬところがありましたので、十八歳の時、寺の北山の獅頭岩に登って独りで坐禅し、一日三枚の柿餅だけで飢えをしのがれました。

坐禅を始めて三日目に一人の神人が月光の中に現われて、

「私は天神である。お前は年が若いので、まだ仏道修行の正しい方法に通じていないようだ。急いで寺に帰って髪を剃り、仏に帰依して受戒をすまし、 和尚方の教えに従って啓発を受けるべきである。これが仏教を修行する正しい方法である」

と言ったかと思うと、いつの間にか消えて見えなくなっていました。翌朝直ちに寺に引き返し、翌る年の十二月八日、仏成道の日(仏さまが悟られた日)に、髮を剃り、また二十歳になられると碧芝岩の樵雲大師から十戒を授けられ、大蔵経(仏教の一大叢書)を読み始められました。

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木庵禅師物語 01~05 2019/05/01takenoko
タグ:木庵禅師 , 坐禅

京都市の催しに参加

京都市の催しに参加し、景品交換でトイレットペーパーをたくさん持ち帰った、恩林寺の小僧です。

この前、京都の中心で就職活動と学生ボランティアをつななぐ催しがありました。僕はある先輩に頼まれていたので、同じ坊さん仲間を呼んで参加しました。
すると、思っていたのとは違い、ビックリしたのです!企業の方もこられるので、かたっくるしいのかなぁと思ってましたが、みなさんがニコニコしていて、穏やかな雰囲気でした。

僕は、「坐禅会」というものをやっています。みんなは、「坐禅」棒で叩かれたり、時間が長かったりと、何か難しそうなイメージがあると思います。
確かに現実はそうですが、今回の「坐禅会」は、時間少なめで、棒でも叩きません!ただ、じぶんのこころをゆっくり落ち着かせてみよう!ということなのです。みんなに少しでも、この楽しさを実感してもらいたいと思って活動しています。

みなさんも、気持ちに焦りが生じた時、坐禅をしてみたらいかがでしょうか?何か困った時、好きな人との連絡の取り方が分からなくなった時、一度、座ってみたらいかがでしょうか?

最後に余談です。
その催しで、なんと6時間も喋り続けました。なので声が枯れています。

今回も読んでいただき、ありがとうございました!

小僧合掌

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小僧さんの話 2019/05/20takenoko

ブログ運営者

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檀信徒の皆さんに『一休さん・珍念さん・小僧さん…』様々な愛称で呼ばれております恩林寺徒弟、鳳雅禅士です。

住職との血縁関係はない在家出身ですが、恩林寺で僧侶となる仏縁を頂戴し、幼き頃からの夢を叶えることができました。

今は京都府宇治市にある黄檗山萬福寺(黄檗宗本山)にて修行しながら大学に通わせて頂いておりますので、普段は恩林寺におりません。

年末年始やお盆には帰ってきます。その時に皆さんと笑顔で会える様に「一日一善」を心がけながら、日々精進していきます。

感謝・合掌。