頭陀袋024 浄土に行ってきた僧の話

昔、中国に恵鏡法師という立派なお坊様が居られた。ある晩、夢の中でお体が金色に輝き、お顔はとても端麗なる一人の沙門(出家した坊さん)が現れた。その神々しさに思わず合掌し礼拝すると、沙門は「あなたは浄土を見たいと思 いませんか?」と、恵鏡にたずねられた。「仏を拝顔させていただけるなら、今生の望みはすべて尽きるというものです。」沙門はそれを聞くと ひとつの鉢を恵鏡に授け、「この鉢の中をご覧ください。」と、言われたので、鉢の中を覗き込むとそこにはまさにお経に描かれているような浄土の世界が広がっており、即ち、大地は黄金で成り、金縄の道を境として何処までも宮殿楼閣が続き、仏の弟子である声聞と菩薩たちは、雲のように連なり、仏様を中心として霞のようにあまねく集い、今、まさに御仏の説法が始まるところであった。御仏の声は清らかに冴えわたり、それは極楽浄土に棲む鳥のこえにも似て美しいお声であった。沙門は恵鏡を連れて仏のところへ導き、すぐに姿を消してしまった。仏は恵鏡にこういわれた。「あなたは今の沙門を知っているかな?彼はあなたが作った釈迦の像であり、また、私はあなたが作った阿弥陀の像で ある。釈迦は娑婆穢土の泥中に出て、悪を極め愚かさに迷う衆生を導き、成仏にいたる路を示し、阿弥陀佛は浄土にあって、あらゆる迷える 人を残らず救いとり、苦しみに満ちた娑婆に二 度と帰させないことを大きな願いとしている。
このことをよく理解しなさい。」恵鏡はこれを聞いて歓喜に絶えず、もっと仏のお姿を拝顔しようと身を摺り寄せたがたちまち仏を見失ってしまい、そこで、目が覚めた。このことがあってから恵鏡は自らの手で造作した釈迦と弥陀の仏像をますます礼拝供養するようになった。そして、臨終のときはとても安らかでその遺骸も全身から良い香りを放つほどであった。

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ある日、白隠禅師がお寺で提唱していたときのこと、その聴衆の中に一人の念仏爺さんが居て、禅師の話を聞きながらしきりにお念仏を唱えていた。禅師は提唱が終わると、この老人を居間に呼んで、試みに念仏の功徳をたずねて見た。「いったい、念仏は何のおまじないになるのかね?」すると爺さん「禅師、これは凡夫が仏になるおまじないです。」と。禅師「そのおまじないは誰がつくられたかな。阿弥陀様はどこに居られる仏かな。阿弥陀様は極楽におられるのかな?」と、言っていろいろ念仏信者の老人を試した。すると老人は「禅師様、阿弥陀様はただいまお留守です。」禅師は「しからばどこにおいでになられているのか?」と、問うと、「衆生済度のために、諸国を行脚せられてます。」「では、今頃はどの辺りにきてござるかのう?」と、たずねたときに、その老人はおもむろに自分の胸に手を当てて『禅師さま、阿弥陀様はただいまここにおいでです。』と、言ってさらに念仏申しました。これにはさすがの白隠禅師も、すっか り感心した。という話が伝わって居ります。自力の極端である禅宗と、他力の極端である真宗とは、たとえその説明方法において違いがあっても結局、いずれも大乗仏教であり『仏、我にあり。』という安心においては何の違いもない。ということでありましょう。

住職合掌

頭陀袋024 浄土に行ってきた僧の話

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